yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

菊之助奮闘の知盛−−「碇知盛」(大物浦)の段 in 『義経千本桜』(三月公演分 国立劇場動画配信) Aプロ

これは別個に論じたかった。なぜなら、4年前に現幸四郎(当時、染五郎)の知盛があまりにもすばらしかったから。歌舞伎座で観て、観劇のあまりtweetしてしまったし、もちろん後日記事にしている。リンクしておく。

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凄味のあった幸四郎の演技と菊之助のそれを比較するのは、菊之助に失礼な気がしていた。で、今回の菊之助の知盛、なかなかのものだった。

他の演者との決定的差は、その所作の柔らかさ、優しさだった。もともと坂東武士ではあったものの、父の清盛の下で貴族として育てられた知盛。どこかにその華やぎがにじみ出ていなくてはならない。宮廷を思わせるものが出ていなくてはならない。その点では、菊之助ほどふさわしい演者はいないだろう。幸四郎とは役へのアプローチが百八十度異なっているはず。かなりそれを意識して演じたのではないだろうか。とはいえ、かっては「立女形」として、一世風靡した菊之助。その所作にはどうしても隠しきれない「立女形」のはんなり感が出てしまっていた。

とはいうものの、そのあとの「いかに義経」で始まる口説きが泣かせる。敵の義経に安徳帝のことを「頼む、頼む」という知盛の必死の願い。このサマにもどこかはんなり感が漂っているのが菊之助。 

このあと、安徳帝が知盛に言葉をかけるのだけれども、知盛の反応がまた泣かせる。そしていよいよ例の「碇知盛」のクライマックスへ。幸四郎の潔さと比べると、やっぱりいささかキレが良くなかった。とはいうものの、「さらば、おさらば!」というところで、碇についた大縄を自身に巻きつけて行くところ、涙なしには観られない。歌舞伎素人の方々、他は見逃しても、この場だけはなんとしても観て欲しい。

一方の梅枝の典侍局は、知盛のイキの良さとは対照的に常に平常心を保っている。安徳帝に「いいきかせる」場でもこれ以上ないほどの冷静さで対応している。安徳帝とのこの最期の場での梅枝は冷静な感じのみではない、もっと運命の悲惨さに立ち向かおうとする潔さを感じてしまった。どうしようもない運命あまりにも理不尽なそれに抗する異議とでも言おうか。

そしてクライマックスのシーンへ。

知盛=菊之助は、もう少しひらけていてよかったのではという疑問残った。この演目に関していえば、大物裏で安徳帝の画策が花盛りらし。入水は、歌舞伎ならではの工夫に満ちていた