yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

危機意識の欠如でコロナウイルスとの「戦争」に負けた日本−—この期に及んでも「パニックにするな!危機感を煽るな!」と叫ぶマスコミとタレント

日本からの人、物はいくつもの国から入国禁止になってしまった。これによって物流は滞り、経済も危機に陥る。発生元の中国がこの措置を取ったのには笑うしかないがアメリカも検討中らしい。経済が窒息状態になるのは時間の問題。いずれコロナは終息するだろうけれど、後遺症は重く残るだろう。悔しくて、悔しくて、怒りは収まりそうもない。

コロナとの戦い、以前にこれを「戦争」と表現した方がおられた。まさに言い得て妙。なぜなら、他国との戦争でもあるから。お人好しの日本人はいいように利用され、その甘さを非難され、叩かれ、挙げ句の果てに「敗戦国」として交流(交易)を絶たれた。

敗因はなにか?ひとえに日本が「危機管理のできない国」とみなされたからである。未だに「パニックにするな!」といっているタレント、戦犯である。 

今一番の問題は、正当に危機感を持つこと。それによってピークを後ろにずらし、感染数の山をできるだけ低く抑えることである。全てが後手後手に回ってしまい、危機管理ができていないことが露呈してしまった。国民にも、そして他の国々にも。

もっと早くに危機感を持つべきだった。新型コロナウイルスを「正しく」恐れているべきだった。台湾の例を以前の記事にあげたけれど、ここは12月末にウイルス情報が入ってから間髪をおかずに対策本部を立ち上げ、今や感染者は42人に抑えられている。感染経路は全てネットで明かしている。つまりそれが辿れるほど、患者が少ないということ。

習近平来日、媚中議員への忖度、オリンピックが近いといった事情で、水際対策に失敗した政府の責任は重い。また、厚労省、感染研といった関連機関が「感染者数を囲い込む」ことによって、然るべき検査を受けることのできない人が続出、その結果、国民の不安は募る一方になった。

なぜ「水際」が中途半端だったのか?なぜ中国本土からの渡航者すべてを入国禁止ができなかったのか。なぜPCR検査が必要な人に回らなかったのか。なぜ、なぜは尽きることがない。台湾のように全て情報開示をすれば、国民の「なぜ」は起きなかっただろう。政府と行政官僚で情報を囲い込んだ結果が今の状態である。

初めからこれは危機だと、戦争だと位置付けた台湾とは結果がここまで違ってしまった。日本は戦争に負けてしまった。無念!これからの日本経済を待ち受けている未来を考えると、絶望しかない。

今日付のyahoo記事で石田ゆり子なるタレントのインスタグラムでの発言を持ち上げていた。タイトルが、「石田ゆり子が新型コロナ報道に異例のコメント『国民をパニックにしないでほしい』」。単なるタレントの発言を取り上げる時点で、記事のレベルが低いのは承知の上で、その発言内容を紹介する。

「こういうとき大切なのは自分の言葉でちゃんと国民と向き合うリーダーなんだろうなぁと思ってしまうし、報道の皆さんマスコミの皆さんみずから国民をパニックにしないでほしいと思うしこれはやはり日本という国の全体の課題なのでしょうか」。

記事はこれを評価し、さらに、「緊急事態に対応できずに迷走する政治と過剰な報道によって逆効果になっているマスコミの現状を指摘した石田の異例かつ真摯な訴えには共感の声が相次いだ」と結んでいる(これ、噴飯もの)。

ゆり子さんの文章が日本語としておかしいのは置いとくとして、腹立たしかったのが、この発言を「勇気ある発言」と持ち上げるコメントの数々。先日は安倍総理の「一斉休校」記事についたコメントに感心したけれど、今度はがっくり。日本人の多くは危機意識を持っていないんですね。それが中国というナラズ者大国と対峙せざるを得ず、必然的に危機意識が非常に強い台湾の人たちとの、決定的差なのでしょう。今一度、3月1日にここに取り上げた『プレジデント』2月29日付記事、「台湾の新型コロナ対策が爆速である理由」(by 藤重太)をリンクしておく。

president.jp

日本と台湾の政府、国民の危機意識が、天と地ほども違うのがよくわかる記事である。

ここまで危機意識の薄い日本人、政府が1月5日の段階で「中国からの渡航者禁足」と発表したら、「差別」云々と大騒ぎしたのかもしれない。だから、政府も政府だけれど、国民も同程度ということか。やはり日本は戦争に負けるだけの国だったのでしょうか?