yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

薪能の醍醐味が味わえた林宗一郎師シテの『山姥』in 「雲母薪能」@修学院きらら山荘能舞台「豊響殿」10月4日

以下に当日のチラシの表・裏をお借りする。

 

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薪能といえば大抵は神社、仏閣等の広大な場所に5百人かそれ以上の観客を擁してのものが多いけれど、このきらら山荘のものは、こじんまり小規模。どこかほんわかとした和やかな雰囲気が終始漂っている。 

舞台は設営されたものではなく、本物の能舞台。これだけでも、とてつもない贅沢だけれど、背景も素晴らしい。鬱蒼と茂る樹々の中、そこだけ切り取った空間の能舞台。天上には時折トンビが舞っている。樹々を通り抜けてくる風が爽やか。

舞台前左右の薪2灯に火が灯される。まだあたりは明るい。能の進行とともに、闇が訪れ、薪の火が燃え盛り、火花が散る頃に佳境に入る。この時間の流れを、空間を共有できることの贅沢を想った。「来てよかった!」と、心から思った。

加えて、『山姥』の舞台であることが、さらに切実感というか臨場感というか、どうしてもこの演目でなくてはならないという必然を感じさせる。確かにタイトルは怖ろしげ。だけど、同じく鬼女がシテの『安達原』とはまったく違って、この鬼女は恨みとか怒りとかを溜め込んだ老女ではない。何か抜き差しならない理由があって山に棲まわざるを得なくなった老芸能者なのでは。山を味方につけることで、かろうじてその芸を、矜持を維持している。そんな芸能者の姿を見てしまった。

シテが百万山姥(「遊君」=遊女)の謡に合わせて「『本家』としてお手本の舞を舞って見せる」なんていう趣向は、なんともほのぼのする。芸能の伝達、継承がどう行われるのかという命題が隠れているのかもしれない。作者世阿弥の考えがほの見えたような気もした。

さらに、『更級日記』に登場する足柄の遊女を連想してしまった。作者が足柄山越えの際に出会った三人の遊女。一番若い14、5歳と思われる少女は、「をのこども、火をともして見れば、昔こはたと言ひけむが孫といふ、髪いと長く、額いとよくかかりて、色白く、きたなげなくて」と描写されている。彼女たちはすばらしい歌を披露した後、暗く鬱蒼とした山の中に消えていったという。彼女たちこそ、山姥の原型なのかもしれないなんて、勝手な想像を巡らせている。

この日の林宗一郎師、まだお若い。でも橋掛りに登場した瞬間から、老女の趣き。緻密に計算された所作と動き。比較的穏やかだった前場に比べると、後場は、とくに最後の舞は激しい。ここでは弱々しい感じ、老いた感じが一掃され、もっと地に深く沈んで行く力と上に突き抜けようとする力との拮抗が示されているように感じた。老女ではなく、かといって若い女でもない、それらをひっくるめた原型、山姥の原型が描出されているように感じた。

衣装が素晴らしい。シテの後場の上衣と袴が特にそう。そしてツレの打掛も華麗。シテ、ツレの衣装が薪火に映えるさまも、薪能の醍醐味の一つかもしれない。

林能学会の能楽師の方々は、演能の前に解説をされる。林宗一郎師のものは当然だけれど、河村能学会の方々、田茂井廣道師、松野浩行師しかり。それに解説文が必ず付くのもありがたい。この日も田茂井廣道師が解説され、また丁寧な解説文もいただいた。