救いのない業の深さを描いてみごとだった。祈りも鎮魂の念も猟師を救うことはできない。この絶望感。
見終わったあと、常なら舞い終わったシテの姿にほっとし、緊張が解けるところであるけれど、そうはならなかった。うちに籠められたエネルギーが放出されずに、そのまま舞台の上に残されていた。他の演者で見たときもその感があったけれど、今回はより一層、舞台に漂う緊張感は、消えずにいた。シテの想いの強さが、ずっと残っているようだった。憑依されていたのだと感じた。
当日の演者一覧を以下に。
シテ(尉 後に猟師の霊) 林宗一郎
シテツレ(猟師の妻) 河村浩太郎
子方(千代童) 林小梅
ワキ(旅僧) 福王知登
アイ(所の者) 茂山忠三郎
笛 杉市和
小鼓 吉阪一郎
大鼓 河村大
後見 片山伸吾 味方團
地謡 河村紀仁 樹下千慧 河村和晃 河村和貴
松野浩行 河村和重 片山九郎右衛門 田茂井廣道
概要を「銕仙会能楽事典」からお借りする。
作者
未詳
場所
前場:越中国 立山 (現在の富山県中新川郡立山町 立山)
後場:陸奥国 外ノ浜 (現在の青森県 津軽半島東部の陸奥湾沿岸)
季節
初夏
分類
四番目物 執心男物
概要
陸奥国 外ノ浜へと下る旅の僧(ワキ)が、途中、立山地獄で修行していると、一人の老人(前シテ)が現れ、自分が外ノ浜の猟師の霊であることを明かし、蓑笠を手向けるよう妻子に伝えてくれと伝言を頼み、その証拠にと衣の片袖を託す。
僧が外ノ浜の猟師の家を訪れ、猟師の妻(ツレ)と子(子方)に猟師の言葉を伝え、形見の片袖を渡して猟師の霊を供養していると、猟師の幽霊(後シテ)が現れ、弔いに感謝する。猟師は我が子に触れようとするが、罪障ゆえに叶わず、殺した雛鳥の親の気持ちを推し量って悔恨の念を述べる。
猟師は、生前に殺生を唯一の楽しみとして熱中していたことを懺悔し、善知鳥を捕っていた様子を再現して見せ、親鳥の流す血の涙に染め上がる凄惨な猟の様子を語る。猟師は、地獄に堕ちたのち今度は自分が捕られる側となって責め苦を受けていること、特に鷹と化した善知鳥によって苦しめられていることを明かし、救済を求めつつ消えてゆくのだった。
いただいた解説によると、善知鳥とは「チドリ目ウミスズメ科の海鳥のことらしい。親子愛が強い鳥だという。それがこの演目の背景にあるのだろう。猟師はそれを利用して猟をしていたわけで、それがために地獄に堕ち、死後も苦しめられている。
旅僧が供養をしたところ、霊が現れ弔いに感謝する。それに続く箇所が強烈である。霊が息子の髪を撫でようと近づくと、子は後ろに飛び退く。ここでの小梅さんの動作が機敏で、いかにも「厭がっている」感じが出ていた。嘆く霊。ここは実に悲惨。以下の箇所。*1
シテ:
あはれや実にいにしへは。さしも契りし妻や子も。今はうとふの音に泣きて。
やすかたの鳥の安からずや。何しに殺しけん。我が子のいとほしき如くにこそ。
鳥獣も思ふらめと。千代童が髪をかき撫でて。あらなつかしやと言はんとすれば。地:
横障の 雲の隔か悲しやな。/\。今まで見えし姫小松の。
はかなや何処に木隠笠ぞ津の国の。和田の笠松や箕面の瀧津波も我が袖に。
立つや卒塔婆のそとは誰簑笠ぞ隔なりけるや。松島や。
小島の苫屋内ゆかし我は外の浜千鳥。音に立てゝ泣くより外の事ぞなき。
「姫小松」は息子を表している。息子に拒否された猟師の霊はただただ泣くばかりなのだ。
猟師は自身が猟という殺生の生業に就いた経緯も説明する。非人として生まれ、他の職を選ぶことはできなかったという自らの生い立ちを。そして厳しい自然の中で、この生業を続けなければならなかった苦しみを。
そのあと、「カケリ」で、猟のさまを再現してみせる。親鳥の習性を利用し、「うとう」と鳴いて見せ、それを聞いて出てきた雛を打ち据えて捕獲する。その様は、どこかサディスティックな悦びの匂いのする凄惨なもの。
それからは急転直下に再び激しい動きになる。シテは舞台に置かれた笠を取る。この笠は、善知鳥が空から垂らす血の涙を受けるものだとわかる。
地:
親は空にて血の涙を。/\。降らせば濡れじと菅簑や。
笠を傾けこゝかしこの。便を求めて隠笠。隠簑にもあらざれば。
なほ降りかゝる。血の涙に。目も紅に染み渡るは。紅葉の橋の。鵲か。
地獄に堕ちた猟師に、鳥は容赦無く襲いかかる。
地:
冥途にしては。怪鳥となり罪人を追つ立て鉄の。嘴を鳴らし羽をたたき。銅の爪を磨ぎ立てては。眼をつかんで。
肉を叫ばんとすれども猛火の煙にむせんで声を。あげ得ぬは鴛鴦を殺しし科やらん。遁げんとすれば。立ち得ぬは羽抜鳥の報か。
猟師が受ける拷問の凄まじさ。それでもなお、救いはない。「助けてたべや。御僧助けてたべや」と言いながら、霊は消える。
私たちも取り残される。なんとも言えない悲しみとともに。
林宗一郎師はこの『善知鳥』と同じ系譜の中に入る『鵺』を9月にも演じられるようである(於大津伝統芸能会館)。この二つは世阿弥の「うつぼ舟」とも繋がる噺であり、芸能は、そして芸能者はどう発生したかということとも絡んできて、興味は尽きない。
*1:「小原隆夫のホームページ」