yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「味方團青嶂会大会」で社中の方が舞った能『鵜飼』が素晴らしかった@京都観世会館11月18日

高田貴美彦氏のシテ、プロはだし。堂々としていて、いささかもぶれがなかった。ここまでの方が社中におられるというのが、すごい!以下に当日の演者一覧を。

シテ   高田貴美彦
ワキ   原大
ワキツレ 原陸
アイ   茂山忠三郎

小鼓   成田奏
大鼓   河村大
太鼓   前川光範
笛    森田保美

後見   味方團 味方玄

地謡   樹下千慧 河村浩太郎 河村和晃 松野浩行
     田茂井廣道 河村晴久 林宗一郎 河村晴道

『鵜飼』は初めて見る作品。銕仙会の能楽事典によると榎並左衛門五郎(えなみのさえもんごろう)作らしい。それを世阿弥が書き換えたとあるので、世阿弥よりも古い時代からあったということで、古い形を留めているらしい。以下に銕仙会概要をお借りする。

安房清澄出身の僧侶の一行(ワキ・ワキツレ)が甲斐国石和に辿り着くと、鵜飼の老人(シテ)に出会う。僧は老人に、殺生を生業とすることの罪深さを説き、改めるよう諭すが、老人は今さら改めることはできないと言う。老人は、数年前に密漁で捕まり見せしめのために殺された鵜飼の話を語ると、自分こそその鵜飼の亡者だと明かし、懺悔として鵜を使う様子を僧の眼前で再現して見せ、消えてゆく。僧たちが法華経を手向けて弔っていると、地獄の鬼(後シテ)が現れ、かの亡者が救われたことを告げる。

原大さんのワキは、いつもその奥行きのある力強い声に感動する。いよいよシテ登場。このパワフルなワキと対峙しなくてはならない。どうなることかと気を揉んでいたら、心配無用だった。老人の面、粗末な出で立ち、歩き方もヨボヨボといったテイでの登場。手には先に真っ赤な尻尾(?)がついた棒を持っている。最初、それは鵜飼の竿を表しているのかと推測していたら、そうではなく松明ということらしい。松明を振り振り、ブツブツ呟きながら舞台中央までやってくる老人。禍々しい感じが漂っている。この風情も見事。禍々しさが舞台に広がり、ワキの僧たちが緊張するのがわかる。

老人が鵜飼と名乗る。この老人こそが以前にこの僧に宿を貸してくれた鵜飼だったことがわかる。その時、僧は殺生を止めるようにと説いたのだった。しかし老鵜飼はそれを止めることなく、密漁にまで手を出していた。挙げ句の果てに捕まり、簀巻きにして川に放り込まれたのだという。今、僧たちの目の前にいるのは彼自身の亡霊なのだと告白する。この後、鵜飼の亡霊は鵜飼の様を再現し、退場する。

後場。僧たちが法華経を唱えて鵜飼の霊を弔っている。そこに「全身を金銀の甲冑で固めた冥土の鬼」(後シテ)が現れる。鬼は、「鵜飼はその殺生ゆえに地獄に行くことが決まっていたけれど、僧たちを泊めたことで浄土に行くことができた」と告げる。この場面が圧巻。前シテではヨボヨボした老人だったのに、ここでは勢いのある鬼に変身。恐ろしい面をつけて頭をカッとあげるところは、まるで別人。前と後の違いをビジュアルに見せてくれる。

とてもダイナミックな動きをされたので、きっと若い方なんだと推察している。後見の味方團さん、後場途中から退席。安心だったからなんでしょう。

森田保美さんの響かせる笛の音が場面に刻みこまれる。河村大さんの大鼓もいつもながら力強い。前川光範さんの太鼓は後場のクライマックスで場を煽り立てる。彼の演奏にはいつも興奮してしまう。地謡の方々は京都観世の「常連」の方々。安定した謡。

素晴らしい舞台を見せてくれた社中会。どう感謝のことばを述べればいいのか。