yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『盛久』in 「五雲会」@宝生能楽堂 4月15日

以下、「銕仙会」の能楽事典から引用させていただいた『盛久』の概要。

従容として死地に赴く、平家の侍、盛久。しかし彼はやがて、人智を越えた大いなる力の働きを目の当たりにする。運命と奇蹟を前にした、一人の人間の心の機微。
 
登場人物とその演者
シテ 平家の侍 平盛久 小倉健太郎
ワキ 源頼朝の家臣 土屋三郎 宝生欣哉
間狂言 土屋三郎の従僕 三宅右矩

大鼓  安福光雄
小鼓  鶴澤洋太郎
笛   槻宅聡

概要
源平の合戦後、囚われの身となった平家の侍 盛久(シテ)は、源頼朝の家臣 土屋三郎(ワキ)に護送され、京から鎌倉へ下ることとなった。長年清水寺の観音を信仰してきた盛久は、最期の望みとして清水寺参拝を土屋に願い、これを果たすと、東海道を下って鎌倉に至る。処刑は明日と知らされ、盛久は『観音経』を読誦して観音に最後の祈りを捧げる。明朝、彼は処刑場に赴くが、処刑執行人が太刀を振り下ろそうとした刹那、太刀は折れ、盛久は助かる。すぐさま源頼朝に召された盛久は、暁どきに不思議な夢を見たことを明かす。実は、処刑に先立ち少しまどろんでいたところ、観音から「汝に代わるべし」との夢託があったのだった。すると頼朝は、自分も同じ夢を見たと明かし、盛久が助かったのは観音が起こした奇蹟によるものであったと判明する。感涙に咽ぶ盛久。頼朝は盛久のために酒宴を催し、めでたい席に相応しい舞を舞うよう所望する。盛久は颯爽と舞を舞ってみせ、天下泰平を言祝ぐ。

「五雲会」は若手能役者のグループ。何も下調べしないで参加したので、その由来も演者についてもよくわかっていない。申し訳ない。でもこの前日に見た「銕仙会公演」とはだいぶん趣が異なっていた。あちらが完成度の高い演者の舞台であるのに対して、こちらは若手のおさらい会的な舞台になっていた。とはいえ、レベルは非常に高かった。チケットを取った折にこの辺りを理解していなかったので、3時間程度で終わると予想していたら、なんと6時間にも渡る公演。帰りの飛行機を午後5時にしていたので、泣く泣く3時過ぎに能楽堂を後にした。能が4本、狂言が2本で、そのうち観れたのは能『右近』、『盛久』、そして狂言『痩松』のみ。本当に残念なことをした。あらかじめ公演チラシを郵送していただいていたのに、きちんと確認していなかった。

『右近』は前日に同じ宝生能楽堂で片山九郎右衛門さんのシテで見ているがこの『盛久』は初めて。かなり今まで見てきた演目と印象が違う。一応四番目物 らしい。主人公は平家の侍、平盛久。平氏の公達らしく優雅な佇まいにふるまい。和歌も舞も嗜む。源氏の侍、土屋三郎に捉えられ、鎌倉へと移送されるのだけど、その前に清水の観音に祈りを捧げたいという。都の春を、清水寺の桜をみるのも最後。その覚悟が胸に迫る。この場面、源氏の侍とは違ったたおやかな男の姿が浮かび上がってくる。道中、歌に詠まれた名所を通るたびにその歌に思いを馳せ、自身の来し方行く末にもそれを重ね合せる。こういうところがいかにも平家の公達らしい。

観音の霊験により、ギリギリのところで命を救われた盛久。鶴岡八幡宮で彼は喜びの舞を舞う。それを見ている頼朝。この対比が面白い。清水や桜花はおそらく平家の女性性を、八幡宮や松の緑は源氏の男性性を表象していると思われる。盛久を通してこの二つの相反するものが融和するような場が、ここに設えられていることが興味深い。

しかしながら、世はすでに源氏の支配下にある。武士の世である。いくら命を助けられたとはいえ、盛久の属していた平氏が隆盛になることはもうないだろう。でもこの公達の延命をドラマにすることで、平氏の代表する優雅な宮廷文化を惜しむ精神が偲ばれる。

シテの小倉健太郎さんはこの二つの相反する世界観を、どちらかというと「侍」的なものを際立たせて演じておられた。その(無骨であるべき)侍が、その属性とは異なる優雅さを纏ってしまっている。そのギャップを心理面からも掘り下げて演じておられたように感じた。