yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

伝奇小説の系譜——唐から江戸、そして大正、昭和、そして現代へーー

昨日、松竹の歌舞伎サイトで、染五郎が4月に夢枕獏作『沙門空海唐の国ににて鬼と宴す』が原案の新作歌舞伎、『幻想神空海』を打つことを発見。タイトルからして伝奇だと判る。歌舞伎で『陰陽師』を舞台に乗せた染五郎。伝奇づいているのだろうと想像している。今回のものは唐にまたがる壮大な伝奇ロマンになるはずで、『陰陽師』よりもさらに大きなスケールを求められるだろう。すべてをカバーするのではなく、一点に絞っての脚本になっているはず。原作をどう解体、再構築しているのかに興味がある。

『陰陽師』の所縁から、平安時代の物語文学を読み始めた。次はファンタジー性の高い「うつほ物語」を読もうと、図書館から借り出した。その前に伝奇小説の系譜ということで、吉川英治作の『江戸三国志』(講談社)も借り出している。こちらは三分の二程度読了。これで芝居がかけないかという下心もあって。また、『沙門空海唐の国ににて鬼と宴す』(徳間書房)全4巻のうち3巻まで借り出した。『江戸三国志』を読み終わったらこちらと「うつほ」にかかるつもり。平安時代から海外の影響を受けて始まった伝奇の伝統が、時代とともに多少は姿を変えつつも、ずっと文学史の中に生き続けてきたのだと、なにか不思議な気持ちにさせられる。本家の方でなくて、日本において脈々とその生命を長ら得て来ているというのにも。以下、Wikiからの「伝奇小説」の概説(部分)。

六朝時代の志怪小説では超自然的な怪異譚や逸話を記録として梗概程度に記していた、もともとの「小説(とるにたらないものがたり)」的なものだったのが、唐代になると作者の創作した複雑な物語となり、文章も修辞に凝ったものになった。その過程で、志怪のころの『怪』を描くことが必ずしも必須の条件ではなく、「鶯鶯伝」や「李娃伝」のように、現実に根ざした、「怪」の登場しない作品群(山中遊郭で妓女とよしみを通じる「才子佳人小説」)もあらわれるようになった。その点で、唐のこれらの伝奇小説は、その後の中国文学における白話作品のさきがけになっていった。

[なお、江戸時代の上田秋成「雨月物語」もこの系譜]

<中略>
1968年に国枝史郎「神州纐纈城」が復刊されると、これを三島由紀夫が高く評価し、この分野の作品の再評価の機運が高まった。その中で半村良が「石の血脈」(1971年)、「産霊山秘録」(1973年)などの伝奇ロマン(または伝奇SF、SF伝奇ロマン)と呼ばれるスケールの大きな作品を生み出す。次いで谷恒生「魍魎伝説」(1982-88年)、荒俣宏「帝都物語」(1985-87年)、高橋克彦「総門谷」(1985年)、夢枕獏「陰陽師」(1988年)といった伝奇ロマン・伝奇バイオレンスの作品群が人気を博し、以後同種の作品のブームとなった。

そして夢枕獏作、『沙門空海唐の国ににて鬼と宴す』である。唐から日本にまたがる勇壮なスケール。内容も玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋に詩人の白楽天、遣唐使の安倍仲麻呂が絡むという複雑、怪奇な?ものになっているよう。「夷狄の繰言」という方のブログに詳しい解説が載っている(この方の記事、2015年8月でストップしているので、心配)。2017年11月3日付記事タイトルは「弘法大師は唐の都で楊貴妃の夢を見るのか」

また、「知らなくてもいい情報」を知ってしまった!「1968年に国枝史郎「神州纐纈城」が復刊されると、これを三島由紀夫が高く評価」のくだり。いかにも三島らしいと思う。次は『神州纐纈城』を読むか・・・。