yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

新作歌舞伎『幻想神空海(げんそうしんくうかい)沙門空海唐の国にて鬼と宴す』in 「四月大歌舞伎」@歌舞伎座 4月8日夜の部

以下、「歌舞伎美人」から。

高野山開創一二〇〇年記念
夢枕獏 原作
戸部和久脚本
齋藤雅文演出

<配役>
空海    染五郎
橘逸勢   松也
白龍    又五郎
黄鶴    彌十郎
白楽天   歌昇
廷臣馬之幕 廣太郎
牡丹    種之助
玉蓮    米吉
春琴    児太郎
劉雲樵   宗之助
楊貴妃   雀右衛門
丹翁    歌六
憲宗皇帝  幸四郎


<みどころ>
人智を超えた様々な人物が織りなす夢枕獏原作の新作歌舞伎
 ここは唐の国。倭国よりの留学僧空海と儒学生の橘逸勢は、ある日訪れた妓楼で妖物に憑りつかれた男と鉢合わせし、空海は男から憑き物を取り除いてやります。実は男の家は人間の言葉を話す化け猫に憑りつかれ、妻は化け猫に寝取られてしまったとの事。空海は化け猫のもとへと向かいますが、そこから唐王朝の秘事に係る事件に巻き込まれていきます。事件を追う空海と逸勢は、50年前に楊貴妃が死んだことにつながりがあることをつきとめますが…。
 空海と橘逸勢の二人が繰り広げる不思議な世界にご期待ください。

結論からいうと、期待したほどではなかった。原作の夢枕獏の伝奇小説、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』全4巻は図書館から借り出して読んでいた。この長い小説を1時間ちょっとにまとめるのだから、どうしても無理がある。いっそのこと『阿弖流爲』のように、3時間全部を使った舞台にした方が良かったのでは。

原作を読んでいても、「あれ?」って不可解な箇所だらけ。どういうシークエンスで、どんなプロットになっているのかがはっきりしなかった。これをいきなり見た人はちんぷんかんぷんだったのでは。これは2013年9月に観た『陰陽師滝夜叉姫』にもいえた。こちらは記事にしている。

この時と同じく主役を張るのは染五郎。彼の意気込みのほどは十分過ぎるくらい十分に伝わってくる。だから残念。あの時は花形歌舞伎だったので、大御所に遠慮する必要がなく、3時間たっぷりを使えたけど、今回は大歌舞伎。時間制限は仕方なかったのかも。そうだったのなら、どこか一つの場面だけにした方が良かったのでは。例えば小説だと冒頭に来る妖猫のところとか、胡玉楼の場とか、回想の楊貴妃の顛末とかだけに、潔く区切ってしまった方が。もちろん全体が繋がって初めて壮大な伝奇ものになり、テーマも立ってはくる。でも全体をざっと通して、その結果中途半端になってしまうより、章一つか二つにしてしまった方が、観客には親切。また楽しめる。

嬉しい「発見」があった。それは春琴役の児太郎。頭に化け猫のかぶりものをして登場。怪しげな魅力をふりまく。原作の春琴はさほど色気のある役ではない(と私は思っていた)ので、この児太郎の色っぽさが衝撃だった。そうか、だから妖怪にとりつかれたんだと、逆に納得。原作だと役人の妻というあまり魅力的ではない設定になっていた。でも、妖猫と交わるところの描写は、夢枕漠さんの小説にしては妙に色っぽかったと、思い出している。児太郎をこれまでさほどすごいとは見ていなかったのが、浅慮だったと思い知った。お父様の福助を超える役者になる予感。

それとやっぱり米吉。どこにいてもその可愛さが際立っている。今回はかなりきつめの化粧をしての楼妓役。こちらも色っぽかった。今の歌舞伎、女形役者にかってないほど恵まれている。しかもみんな20代前半。

染五郎の印象が薄かったのは、やっぱりお父上を始めとする大御所たちに遠慮があったからでは。このままではもったいないので、3時間全部を使う一つの部にし、構成を整理し、組み替え直して再上演してほしい。