yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

晴明神社に参拝1月24日

地下鉄の今出川駅から徒歩15分。「堀川一条上る」が所在地。寒波襲来で関西はこの冬一番の冷え込み。雪がなかっただけマシかも。でも京都の冬は寒い。着くまでに身体が凍ってしまったよう。

この晴明神社、一条戻橋にあった晴明の屋敷跡。晴明の屋敷は、「あらゆる魑魅魍魎から都を守るため」内裏(御所)の鬼門に建てられたという。御所から歩いて来たので、納得。神社はそんなに大きくない。晴明の屋敷そのものは広大だった。でもその後「応仁の乱や豊臣秀吉の都造り、度々の戦火」で現在の規模に。日曜日なので参拝者がわんさかいるかと危惧したけれど、拍子抜けするぐらいの数。

『陰陽師 鳳凰の巻』を携帯していた。阪急電車の車中で読むために。神社に着くまでに、頭の中は晴明だらけという状態になっていた。ウキウキと楽しい。「陰陽五行の陰陽道」にも興味がわく。夢枕獏さんは安倍晴明という人物を現代人にも「親しみ易い」そんな人物に描いている。晴明のつかう陰陽道も迷信としてではなく、それなりの合理性を持ったものとして示してくれる。

晴明を親友の博雅と対比させることで、陰陽師というイメージが喚起するなにか訳の分からない奇妙さ、いってみれば「いかがわしさ」を減じさせている。世俗を超越してはいるけど、博雅といるときには普通の若い男になっている。白い水干(ときとしては狩衣)を身にまとい、男にしてはやけに紅い唇には、あるかなきかの微笑をたたえている。人の行動、心理を穿った眼で冷徹に見て(見通して)いる。

晴明の方がずっと年上の感じではあるけれど、部分的には羽生結弦さんのイメージとかぶる。クールさの中に温かみがある点で。厳しさの中に優しさがある点で。

神社入り口の鳥居。

石碑。左に「五芒星」が。

境内の様子。

晴明像

羽生結弦さんの奉納された絵馬。

夢枕獏さんのものと、歌舞伎等で晴明を演じた染五郎さんのものも。

亀治郎(現猿之助)さんのものもある。

帰りに社務所でお札2枚にお守りを1個。魔除けステッカーまで買ってしまった!

付記
この記事をはじめずっと「晴明」を「清明」と表記してきたことを、いただいたコメントから分った。お恥ずかしい。ありがとうございます。で、過去にも遡って訂正。

もう一点、書いた記事中に気になるところが。晴明神社が御所の鬼門にあると書いたのだけど、位置関係に「あれ、ヘン」と思ってネットで検索をかけてみた。すると安倍晴明のもとの屋敷はここではなかったという指摘が。「安倍晴明を探せ」というブログ。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heian/heian37.html
興味深かった。夢枕獏氏は晴明の屋敷が土御門大路にあったとされている。