yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)』初春文楽公演 @国立文楽劇場第一部

つい三日前、第二部の近松作『国性爺合戦』を観たのだけど、「千里が竹虎狩りの段」まで観てから退出した。疲れていた所為か余り楽しめなかった。集客もここ二年ばかりの盛況振りに比べると、あまり入っているとはいえなかった。今日、急遽観に行こうと考えたのは、嶋大夫の引退公演だと判ったから。一昨日ネットで席を取ったのだが、けっこう埋まっていた。みなさん分っておられたんですね。

文楽との付き合いも歌舞伎と同じくらいなので20年余り。その最初から、嶋大夫さんは毎回観ていた(聴いていた)。嫋々とした語り口は、世話物を語るにはぴったりだった。クレッシェンドをつけるところでは、上に伸び上がるようにして語られる。心の琴線にダイレクトに訴えかけて来る情感のこもった語りだった。世話物の切りは他の大夫よりも、やっぱり嶋大夫っていうのは、ゆるがない。住大夫は引退、源大夫は去年7月に他界。ということで、彼と歳の近い大夫はいなくなってしまっていた。ここ何年かは「やっぱりお歳だな」と思うこともあった。だから今回の決断は英断だと思う。この1月に人間国宝に認定されたばかり。

お弟子さんが竹本津國大夫、豊竹呂勢大夫、始大夫、睦大夫、芳穂大夫、靖大夫と六人。みなさん素晴らしい語り手。こんなに多くの弟子をもつ大夫はいないらしい。お人柄が偲ばれる。

呂勢大夫から、『関取千両幟』の舞台が始まる前に挨拶があった。今は彼が一番弟子なんですね。呂勢大夫は2000年に師匠の呂大夫が亡くなられたあと、嶋大夫の弟子になっている。ここまで力のあるお弟子さんだと、嶋大夫さんは鼻高々だろう。

<配役>
大夫
おとわ   嶋大夫
猪名川   英大夫
鉄ヶ嶽   津國大夫
北野屋   呂勢大夫
大坂屋   始大夫
呼遣い   睦大夫
行司    芳穂大夫/靖大夫

三味線:寛治 宗助 寛太郎
胡弓:錦吾

人形
おとわ   蓑助
猪名川   玉男  
鉄ヶ嶽   文司
北野屋   幸助/玉志
大坂屋   勘介
呼遣い   蓑之
行司    和馬

チラシに掲載されていた狂言内容は以下。

人気力士の猪名川は、贔屓から錦木太夫の身請けの金の工面を請け負っています。同じく力士の鉄ヶ嶽といるところに使いがやって来て、今日中に金を用意できなければ他の客に渡すと告げますが、その客とは鉄ヶ嶽でした。身請けを諦めるよう頼む猪名川が、今日の取り組みの相手だと知った鉄ヶ嶽は、八百長を仄めかして立ち去ります。身請けのため大事な相撲で勝ちを譲らねばならぬと男泣きする猪名川の姿に、女房おとわも心を決めます。取り組み中に懸賞金の声がかかり、奮起をする猪名川でしたが・・・。夫のために尽くす妻の姿が涙を誘います。

おとわが夫の猪名川の窮地を救うため、みずから身売りをするという、このオチが今の観客には受け入れ難いかもしれない。ここをできるだけ悲劇のトーンではなく、明るく描くことを嶋大夫は心がけているのだという。相撲取りの女房たるもの、それくらいの気骨をもっているのが当然ということ?夫を救うために自分を犠牲にするというのは、やっぱり抵抗がありますね。相撲取りというのが、当時は「英雄」だったこと。英雄のアイコンとして確立していた。だからその理想像を担保するために、相撲取り本人のみならず、周りの人間も尽力せざるを得なかった。「美学」のためにはナマの個人を消さざるをえないということなのか。日常に馴染み、そこにしがみつきがちな女性に対して、男の側からの彼らが期待する女性像の押しつけに見えてしまうのだけど。『夏祭浪花鑑』のあのお辰の気概にも通じるものがあるのは確か。でもやっぱり、抵抗アリ。