yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

文楽公演『仮名手本忠臣蔵』@国立文楽劇場 11月20日夜の部

今月はめずらしく通し狂言である。ここにも以前よりもはるかに気合いが入っているのが窺える。観客席も平日にもかかわらず、ほぼ満席。観客も演じ手の気に呼応、しっかりと反応しているのが分る舞台だった。久しぶりに双方向性の際立った舞台をみることができた。橋下市長の「助成金凍結宣言」が出るまでは、大阪の文楽公演がここまで観客を動員することはなかった。あの「宣言」がカンフル注射となって、大阪の文楽愛好者を奮い立たせたに違いない。

今月、『忠臣蔵』がかかっているのも知らないでいたのは、まことに迂闊だった。2日後に東京遠征を控えていたので、この日は夜の部のみ。授業終了後にあわててかけつけた。

夜の部は七段目、「祇園一力茶屋」からだった。残念ながら桐竹紋壽さん、千歳大夫さんといった重鎮たちが第二部を休演だった。「山科閑居の段」は「奥」を呂勢大夫さんが千歳大夫さんの代役だった。

七段目の「一力茶屋」は歌舞伎ではしばしば単独で舞台に乗る。その華やかさが、そして由良之助とおかる、それにおかるの兄の平右衛門、そして床下に隠れている九太夫という四者の絡みがみせどころ。歌舞伎ではおかるが由良之助が読む手紙を鏡をつかって盗み読むという場面が見せ場なのだが、文楽ではそこのところはあっさりしていた。役者の生の身体を使ったときにおきるざわめきというかノイズのようなものが、この場面の副奏底音になっているのだが、人形だとそれが昇華されて、筋立ての妙そのものが際立たされる。私はそのどちらも好きだ。歌舞伎ではおかるの「由良之助の手紙をみるという行為」をどう解釈するかに役者の技量がでるわけで、そこにおかるという女性のもっている色気が出なくてはならない。蓑助さんのおかるはその点、色気もあるけれど、やはりもっと夫への忠義立てに厚い女になっていた。

それにしても蓑助さんの遣い方はまさに人間国宝。こんなに上手い人はいない。ご病気されたりなので、時間を惜しんでみておかなくてはと思う。

ここで由良之助を語った咲大夫さんが一段と貫禄がついて、充実ぶりが際立っていた。お父様の先代綱大夫さんを聴いていないのだが、きっと似てこられたのでは。ここでの呂勢大夫さんの「便りのないは身の代の」で始まる夫、勘平を思う口説きはよかった。この段は多くの大夫さんが登場。どの人も中堅どころで、次世代を担い、そしてさらに若い世代に引き継いでいって欲しいと切に願った。

あの伝説の九段目、「山科閑居の段」の「切」は嶋大夫さん。住大夫さんで聴いたことがある。母と娘の情からみのかけ合いが聴きどころで、記憶が間違いなければ住大夫さんの語りはどこか頑丈な鋼を思わせるものだった。だからこの段そのものをそのように捉えていたのだが、嶋大夫さんの語りはその予想を裏切った。もちろん嶋大夫さんの本領は硬質なところではなく、その嫋々とした「柔」の語りにあるわけで、当然といえば当然だったのだが。三味線は私の大好きな富助さん!この二人の語りと三味線のかけ合いはいつまでも聴いていたほど、耳の至福である。絶品。特に戸奈瀬の娘、小浪の口説き!

それを受けて「奥」は呂大夫さんのお弟子さんだった呂勢大夫さん。このお二人師弟関係にあるんですよね。呂勢大夫さんファンでもある私が多少のハンディをつけて聴いたのは当然である。でもお上手だった。なんといっても三味線は人間国宝の清治さんなんですからね(呂大夫さんとの競演が耳に残っています)。頑張らない手はないでしょう。

この段で小浪を遣った吉田一輔さん、とてもよかった。今までも出ていたのだろうが、気づかなかった。今回、はっとするほど上手かった。