yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

マリインスキー・バレエ 『白鳥の湖』@兵庫県立芸術文化センター

以下がチラシの写真と配役表である。



最初に幕が開いたとき、舞台は人物、背景ともにさすがの美しさだった。森の中、背後にはお城がみえているという設定。美しく着飾った宮廷の紳士、淑女たちが集っている。きちんとそろっていて、見事だった。とくに、道化・ジェスター役のダンサー(グレゴリー・ポポフ)がその表現力で他を圧していた。他の男性ダンサーたちよりもすこし小柄。でも跳躍はきれい。「カワイイ」というのが適当かどうか分らないけど、道化のおかしみと同時に、若さのもつ軽さを上手く出していた。そこへ王子(ディムール・アスケロフ)登場。この人は今までみてきた男性ダンサーの中でも抜きん出て姿形の良い人だった。背が高く、足も長く、優雅のひとこと。でもそれゆえか、ちょっとクセがなさすぎで、それがインパクト減となっていた。「ちょっと気の弱い」王子という感じだった。この幕の群舞が生き生きとしていたので、それと比較してということなのだが。

次の幕。白鳥の群舞(コールド)がとにかく美しい。よくぞこれだけのレベルの踊り手をそろえたと、ただ感心。なによりもその姿の美しさ。圧巻だった。中でも四羽の「小さな白鳥」の踊り手たちの表現力と技術のレベルの高さに驚いた。「大きな白鳥」を踊ったダンサーもよかった。

で、いよいよオデット(オクサーナ・スコーリク)登場。この人も姿の良い人だったが、大きな白鳥を踊った人たちと、そうレベルの差を感じなかった。テクニック的には優れていたのが分ったけれど、どういったらよいのか、淡々としているというか、パワーがあまり感じられなかった。このパワーのなさが後半にかなり影響してしまっていた。とにかく中心人物が水のような薄さだと、舞台の核が定まらず、全体が浮いてしまう。「観客が観にきているのは、舞台に展開するハレの祝祭空間なのだから、稽古場そのままを持ってこられても困るンだよな」なんて思いながら、観ていた。顔の表情が今まで観てきたプリンシパル級の人たちに比して、乏しいように思えた。それがオディールを演じる際にも響いていた。オデットとの対比を際立たせなくてはならないのに、そしてそれが二役を同時にやる意味なのに、成功しているとはいえなかった。

白鳥たちも後半ちょっと息切れだったのかもしれない。群舞での乱れが少し目についた。

最後の宮廷場面で、再度登場した道化にばかり目がいってしまった。この人はパワー全開。どちらかというとおとなしめの他のダンサーの分をカバーしている観があった。王子もそれに比べると、弱い。技術的には優れた人なんだろうけど、その辺が残念。あまり経験がないのでは。

スペインの踊り、ナポリの踊り、ハンガリーの踊りは楽しかった。伸びやかに踊っていたように思う。ロットバルト(アンドレイ・エルマコフ)はもう少しアクがあってもよかったのでは。ちょっと平板だった。

期待して臨んだ初めてのマリインスキー。今年1月に同じくサンクト・ペテルスブルグにあるミハイロフスキー劇場バレエのすごさを体験していたからである。おそらく踊り手の違いなのだろうが、平板でがっかりしたというのが実感である。たまたまだったのか、それともこれがこのバレエ団の特徴なのか。カーテンコールも至極アッサリ。残念だった。