yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

チャイコフスキー 3大バレエ・ハイライト キエフ・クラシック・バレエ 8月5日@神戸文化大ホール

夏休み公演とあって、子供同伴の人が多かった。それも比較的幼い(4、5歳)の女の子連れの女性だった。私の両隣ともに学齢期前の女の子だった。開演前は脚をバタバタしていたのに、踊りが始まると舞台を熱心にみつめていて、感心した。

チャイコフスキーのいわゆる三大オペラのハイライト部分のみ、それぞれ50分前後を見せるという趣向で、観る前は「なんともお子様むけ」と鼻白んでいたのに、観終わってからは、これはもうけものだったと納得した。ただ、ドラマとしてのバレエの部分はかなり「犠牲」になったのかもしれない。でもオペラのCDを聴く場合、ハイライト部分を、あるいは自分のお気に入り部分を何度も聴く傾向のある私としては、こういうふうなパッチワークもありかなと思う。とくに既にストーリー展開がよく知られているものは、あえて全編みせなくても、観客を、それもとくに小さい人を惹き付ける場面を集中してみせるのは、飽きさせずにすむと思う。いちばん初めに『くるみ割り人形』をもってきたのは、やはり子供の観客を意識しているからだろう。クリスマスシーズンの出し物は欧米では『くるみ割り人形』と相場が決まっていたから。もちろん小さい観客を想定しているからである。

キエフバレエの実力を見せつける踊り手の層の厚さだった。今さらながらにロシアバレエの奥行きの深さ、伝統に裏打ちされた歴史を認識させられた。登場する踊り手は優劣つけ難いほどの粒ぞろい。それも年齢的にはかなり若い。これだけの力のある踊り手を擁しているのは、やはりキエフがマリインスキー・バレエ、ミハイロフスキー・バレエという二代バレエ団と並ぶだけのロシアのバレエ団だからだろう。

『くるみ割り人形』

以下はその踊り手たち。
クララ       川亜香里
 
王子        コスチャンチン・ヴィノヴォイ Kostiantyn Vinovoy
スペインの踊り   ミキタ・スホルコフ Mykyta Sukhorukov
          マルガリータ・クズネツォワ Margaryta Kuznetsova

私がとくにすばらしいと感じたのは「スペインの踊り」のミキタ・スホルコフとマルガリータ・クズネツォワだった。対で何組かでて踊った中で、最も切れ味が良かった。二人が舞台に出て来た途端に、さっと空気が変るのが分った。スホルコフはその跳躍のダイナミックさ、そして安定感が並外れていた。

二番目の演目は『白鳥の湖』。

オデットにエレーナ・フィリピエワ(Olena Filipieva)、ジークフリート王子にアルテム・ダツィシン(Artem Datsyshyn)。両者ともにキエフ・バレエ のプリンシパルだということで、他演目よりはるかに重点的な役の割当があったのが分る。この二人はそのテクニック、跳躍力、そして表現力、どれをとっても文句のつけようがなかった。優雅で美しかった!改めて『白鳥の湖』という演目の「特殊性」を感じた。これはあくまでもおとぎ話、というか虚構の最右翼として演じられなくてはならないということを。ドラマはある意味余計な「贅肉」なのである。極端にいえば人間味を極力排して、つまりドラマ性をそぎ落とし、抽象の極北、具象の絶対零度に限りなく近づけるということに照準を合わせて、初めてそれぞれの踊りが一つの統一体として、おとぎ話として完結する。リアリティとは無縁の世界が舞台に展開するのだ。もちろん『眠りの森の美女』も「おとぎ話」ではあるのだが、虚構の完成度からいうと、『白鳥』ほどの純度が求められているわけではない。だからこそ『白鳥』は深層心理の中に深く沈殿し、美しければ美しいだけ、どこかそら怖しさを感じさせるのだろう。そう考えてきて、先日シュツットガルト・バレエで不満を感じざるを得なかった理由が思い当たった。ドラマティックバレエとはおよそ相容れないのが『白鳥』なのではないだろうか。これはあくまでもドラマとしてではなく、あらゆる贅肉をそぎ落とした「おはなし」(それも子供騙しの)として、はじめてその意味が立ち上がってくる作品なのだ。

主役の二人の完成度が高かったのはもちろんだけれど、ロットバルトを踊ったスホルコフがその出番が少なかったにもかかわらず、強烈な印象を残した。なんというキャラクター。大魔王としてのロットバルトというよりは、悪の精のような軽やかな悪役だった。オデットのアルターエゴがオディールなら、王子のそれが、あるいは人一般のそれがロットバルトになっているのだろう。ドラマとして演じれば、もう少し深刻な役作りをしなくてはならなかっただろうけど、ひたすら軽やかなロットバルトだった。その技術がウルトラ級にすぐれていたから、その軽やかさが演出できたのだと思う。

最後は『眠りの森の美女』。

その踊り手は以下の通り。

オーロラ姫     オクサーナ・ボンダレンコ Oksana Bondarenko
デジレ王子     ミハイロ・シニャフスキ

Mykhailo Syniavskyi
カラボス      テチヤナ・ボロヴィーク Tetiana Borovyk
青い鳥       ミキタ・スホルコフ Mykyta Sukhorukov

以下が公式サイトから採った解説で、よくできている。

作品の焦点は、明らかに善の力(リラの精に象徴される)と悪の力(カラボスに象徴される)との葛藤に置かれており、それぞれを表すライトモチーフが話の筋を強調する重要な撚り糸として機能しながら、バレエ音楽全体を貫いている。

はたして、ここでも善と悪との相克が描かれている。ボンダレンコは非常に肉感的な踊り手で、オデットよりもオーロラ姫の方がはまり役だった。さすがによく考えられていた。オーロラ姫を眠らせてしまう黒いマントを被った老女として登場、あとでそれを脱いでカラボスになるところをたくみに演じたテチヤナ・ボロヴィークはすばらしかった。どこか東洋的な匂いのする人だが、今やキエフ・クラッシック・バレエの芸術監督だそうである。

もうひとり「すごい!」と思ったのが、またもやミキタ・スホルコフ。青い鳥を踊った。上の写真はまさにスホルコフの青い鳥の場面。光藍社のキエフバレエ公演のサイトを覗いたら、彼へのインタビューが載っていた。