yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

文楽公演『源平布引滝』@NHK Eテレ

今年4月の国立文楽劇場での録画の放映だった。これは源大夫とそのご子息の藤蔵さんの襲名披露公演で、私は第2部の方はみたのだけれど、襲名挨拶のついた第1部を見逃していたので、ちょうど良かった。

襲名挨拶は住大夫さんの音頭取りでおこなわれた。文楽の襲名は今回源大夫を襲名した綱大夫さんが綱大夫を襲名(2006年)したのをみて以来だった。ご子息は清二郎からお祖父さまの名跡、藤蔵を襲名したのである。「源大夫」も源大夫ご自身のお祖父さまを継がれたことになるようである。世襲制を採らない文楽では珍しいことである。ちなみに、新源大夫さんのお姉様は住大夫夫人である。こういう情報は源大夫さんの著書、『織大夫夜話』

織大夫夜話―文楽へのいざない

織大夫夜話―文楽へのいざない

から仕入れた。これはご自身の師匠の綱大夫さんとの関係(そしてそれにつながる伝説の豊竹山城少掾との関係)を知るのに、そしてなによりも戦後の低迷期を含む文楽の生きた歴史を知る上でとても役にたった。私自身が古書で手にいれたのだが、やっぱり絶版のようである。

この本のおかげで、織大夫さんと伴奏の藤蔵さんの演奏を聴くときは、なんとなく親しみを感じながら聴いていた。親子というわりにはあまり似ておられなくて、でも息はぴったりと合っていたので、やっぱり親子だななんて感心したりした。

残念ながら録画分では「実盛物語の段」源大夫さんが急病だったため代わりをつとめた英大夫さんの演奏だった。三味線はもちろん藤蔵さん。襲名披露狂言だったのにさぞ無念と思っておられたにちがいない。英大夫さんも以前は高い声が特徴だったけれど、ほどほどに深みのある声になっておられたので、この段の特に瀬尾十郎の語りと、そして最後の実盛の太郎吉への述懐を語るのに貫禄負けすることもなく、安心してじっくりと聴くことができた。でも、録画の形で残らなかったのを、源大夫さんはさぞかし残念がっておられるだろう。

住大夫さんの「瀬尾十郎詮議の段」はさすがの貫禄だった。この方が語り始めるとまずそのしゃがれ声におどろき、そしてこの声で女性の語りをするのは無理じゃないかと思ってしまうのだが、とんでもない。以前聴いた『合邦』の玉手御前の語りでは、あの複雑な性格の、ちょっと憎らしいけれど色気のある女の姿が立ち現れるのだ。連れて行った文楽は初めてという友人など、ぽろぽろ泣いていたくらいである。男性、女性を問わず完璧な語りで、住大夫を聴いて帰らないとなんだか大事な忘れものをしてしまったような気がするほどである。今日聴いた語りでは彼の自家薬籠中の豪快な「笑い」が聴けて、満足だった。笑いの表現にこれほどの色合いが出せるのは、やっぱり彼をおいてはないように思う。

舞台でみているときはそれほどとは感じなかったが、今日の演奏を聴いて(大写しになるせいもあるだろうが)、お歳を召されたなと感じた。力強さは以前のままだけど。嶋大夫さんといい、やはり年齢は大きくのしかかっているにちがいない。ここ何年間か文楽を頻繁にみなくなっていたことを後悔している。

前のブログ記事にも書いたが、呂大夫さんはすでに彼岸の方である。とても好きな大夫さんだったので、いつだったかNHKが彼と鶴澤清二さんとの『ひらかな盛衰記』、「逆櫓」の段の共演演奏を放映したのを録画したものだ。今探したけれど見つからない。清二さんはいまや人間国宝である。呂大夫さんも生きておられたらきっとそうなっただろう。ググってみたら、いまではお弟子の呂勢大夫さんが「逆櫓」を語って高い評価を受けているようである。師匠はきっとよろこんでおられるだろう。

清二さんの三味線はすごみのある切れよい音である。大好きな三味線弾きなのだが、もう一人私の「勝手ひいき」の弾き手が豊澤富助さんで、彼の三味線の音色はなんとなく温かい包み込むような音である。いつも床の真横に座って大夫さん、三味線弾きさんをジィーと凝視するのが常なんだけど、富助さんのときは一層そうなので、ケッタイなやつがいるとおもわれたかもしれない。