yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

日本人の危機管理

昨日、教職員用レストランでランチをしているとき、日系アメリカ人の同僚の先生と一緒になった。アメリカの弁護士資格を持っている方で、とても分析的、論理的で無駄話でも小気味がよい。英語論文をみてもらうこともあるけれど、それも彼が外国人教師の中でいちばん信頼できるからである。彼の言葉からいろいろと彼我の違いを思い知らされた。

震災に関することだったのだが、彼の出身のハワイ(オアフ島)では災害に備えて常に備蓄してあるという。水、食料なら最低3日分は備蓄しているし、ハリケーンが来たりして停電(頻繁に起こるとのことである)になりそうなときは、バスタブに水をいっぱいにはるという習慣ができているとのことだった。私がいたのはアメリカ本土で大都市、フィラデルフィアだったので、そういう光景はみたことがなかったが、それでも大きな家に何人かで住んだとき、地下部屋にはたしか自家発電機があったし、大きな冷凍冷蔵庫があって食料が保存されていたのを思い出した。何年か前にニューヨークでの大停電は記憶に新しい。いくら大都市でも停電は起きるものだという覚悟があるように思う。

日本人の危機管理が危ういことが露呈したのが今回の震災だったのは間違いない。いくら「想定外」の規模だったとはいえ、やはり普段から身体的にも頭の中でも危機に備えるという訓練をしておかなかった分被害は大きかったのではないだろうか。アメリカ人は楽天的だとよくいわれるし、たしかにそういう面もあるけれど、危機は起こるものであるという前提のもとに生活自体を管理する傾向があるようだ。個人としてもそうだし、もちろん国としてもそうである。だからナインイレブンは(そしていつも引き合いに出される「真珠湾攻撃」も)あれほどの衝撃を全アメリカ人に与えたのだ。

日本人に限らず人は「自分だけは大丈夫」と思いがちであるという。国単位で考えると「まさか攻撃はしないだろう」と思っているのかもしれない。日本人は性善説に立っているとよくいわれる。その性向と「自分だけは大丈夫」とが組み合わさって、「人のよい日本人」というレッテルが貼られるのは、やっぱりちょっと困ったことだとも思う。私自身がまさにそうだと自覚しているから。