yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

大笹吉雄著『日本現代演劇史』大正・昭和初期篇

2週間前に神戸市立中央図書館で「明治・大正篇」とこれを借り出して、今日返却した。このシリーズは近場ではここにしかなくて出向いたのだが、演劇のスタックで他の演劇関係の本をざっとみることができて、思わぬ収穫もあった。それに新開地劇場が近いので、お芝居をみてかえるという副産物もあった。

この演劇史、各々一冊が600ページを超えていて、結局全部に目を通すことができなかったので、「大正・昭和初期篇」は再度借り出した。この篇は内容がぎっしりとつまっていて、とてもではないが一回読んだくらいでは消化しきれない。手元において事典がわりに使いたいので、結局買い求めることになるだろう。もちろん古書で。それでも一冊7、8千円する。夏休みまでお預けにすることにした。

初めの章は、日本に西洋モデルのオペラが定着するさまを詳述しているのだが、おどろいたのは7代目松本幸四郎が帝劇で『古城の鐘』の守銭奴ガスパールを演じて大成功をおさめたという箇所だった。現在の幸四郎もミュージカル等によく出演しているが、家系だったとは!とても興味深かった。西洋音楽に日本語の歌詞をつけて歌うというのに、役者のみならず聴き手の方も慣れていなくて、不評、失敗の連続だったようである。あの三浦環女史ですら、興行は大失敗だったようである。もちろんその後、海外で「マダム・バタフライ」で一世風靡するのだが。彼女がぞろっと長いドレスを来て舞台に出てきて歌いだすと、不慣れな観客はげらげら笑ったという。それにあわてた環女史がドレスの裾を踏んでひっくり返ると、笑いはさらに大きくなったとか。なんともお気の毒ではある。

やがてオペラは江戸時代から一大遊侠地だった浅草六区に入り込んだという。それまでにもエンターテインメントの殿堂としてさまざまな芸能のメッカだった浅草。木馬館、大勝館もそのころからここにあったのだとは。

その多彩な芸能の中でも松旭斎天一率いる一座にいた松旭斎天勝は一頭地を抜いていたようである。天一一座の舞台というのは奇術のみをみせたのではなく、それにダンス、独唱をはさんだバラエティーショーだった。天勝は燕尾服にシルクハット姿で奇術をし、ドーラン化粧、付けまつげをつけてスパンコールを散らした羽衣衣裳でアメリカ仕込みのダンスを踊った。というのも、明治34年から38年までの間アメリカ全土を興行して回った経験を生かしたのだ。照明は回転フィルターを使って7色に変わるように仕掛けてあった。これって、まるで今の大衆演劇の舞踊ショーですよね。やがて、天一一座を出た天勝は一座をもつが、そこではアメリカで見聞した様々なショーの趣向が取り入れられていた。

私がこの天勝のことを知ったのは三島由起夫の『仮面の告白』でだった。少年の三島は天勝のブロマイドに魅惑され、それを隠しもってなんどもなんどもみるのだ。もちろん家族には内緒で。そういう記述があったので、一体どんなに魅力的な女優なのかとずっと想像してきた。この「大正・昭和初期篇」には写真が載っていて、私の長年の疑問もとけたわけである。確かに並外れた美貌で、そのうえなんともいえない色気がある。三島が写真を隠し持っていたのも分かる気がした。

最初の章だけでこれほどの濃い内容である。この「大正・昭和初期篇」を頭の中に収めるにはまだまだ時間がかかる。とはいえ、2週間後には図書館へ返却しなくてはならないから当分この本との緊密な付き合いが続きそうである。