yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

堂本正樹著『回想 回転扉の三島由紀夫』文春新書 2005年11月刊

先日図書館で『ダンスマガジン』を借り出した際、ついでに(?)この『回想 回転扉の三島由紀夫』も借り出した。新書版なので、あっという間に読めるはず(だったのだ)が、なにか人の秘めごとを覗き見しているような気持ちにさせられ、結局2日もかかった。『ダンスマガジン』にも、読まれているのをみられたくないような、ある種の後ろめたさを感じさせる何かがあるので、その点では似たもの、「際もの」を同時に借り出したのかもしれない。

もう返却してしまったので(amazonで買うつもり)、詳述はできないのだが、三島夫人が存命中なら、出版を差し止められたかも知れない。というのも三島がゲイであることが「ほのめかす」どころか、かなりありありと描かれていたから。堂本自身がまだ慶応義塾普通科(高校)4年生のときに三島とそういう「仲」になったことが、かなりリアルに描かれている。それもあの有名な(?)銀座のゲイバー、「ブランズウィック」での邂逅、その関係の発展といった私的なことが「ここまで書いていいんですか」位の真実味を帯びて披瀝される。

そのあたりのことは、たしかに心乱されはするものの、私にはあまり興味はないのだが、彼が三島作品を演出したところはめっぽう面白かった。俳優座のそして文学座の役者たちとの「交流」と「軋轢」はまさに目撃者でなくては書けないリアルなエピソードだった。もっと興味深かったのは、三島の初期作品を彼自身が演出したことがあるのだが、ことごとく失敗だったという記載。三島はけっこう「おめでたく」って、自分が上手く演出できたと思っていたけれど、プロの目からみると実際にはそれほどでもなかった、というより失敗だったというのが、面白かった。さもありなん。これって、原作者と演出家との齟齬なわけで、別に三島特有の現象だったわけではない。

堂本の著書は『劇人三島由紀夫』しか読んだことはない。これはペン大の図書館で最初に読み、日本に帰国してから入手した。こちらはいたって「無味乾燥」で、『回転扉』のような「色っぽい」話は皆無だった。だからこの『回転扉』には度肝を抜かれた。

正直にいうなら、かなり幻想が壊れた部分もある。それでも包括的な三島由紀夫像を提出することにより、よりリアルな三島に近づける可能性もあった。それを狙ったのかもしれない。ゲイであることは先刻承知。でもそこに付帯してくるもろもろの事象をどう料理するか、それがかなり難しいし、重いのも事実である。だからその先は、三島の芝居を観た観客にあるいは彼の作品を読んだ読者に委ねられているのかも。