yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『傾城反魂香』in 四代目中村鴈治郎襲名披露ニ月大歌舞伎@大阪松竹座2月9日昼の部

演目は口上を除くと、「嫗山姥」、「京人形」、そして『傾城反魂香』の三つだった。友人が大阪市優待の一等席を取ってくれたので、本来なら18000円(!)の席が半額ですんだ。でも明らかに18000円の値打ちはなかった。半分でもどうかなっていう感じ。松竹座での襲名興行、先月に続いて2ヶ月目だったのだけど、先月、今月ともに客入りは良くないように思う。先日の歌舞伎座の客入りがもう一つといっても、これよりは良かった。やっぱり客は正直。面白ければ来るのは、文楽の例をみても明らか。「大歌舞伎」のレゾンデートルを考え直すところに来ているんじゃないでしょうか、松竹さん。

三演目中、最も良かったのはやはり猿之助が出た『傾城反魂香』中の「土佐将監閑居の場」だった。通称「吃又」として有名な段。この芝居は近松門左衛門の作。もとは人形浄瑠璃なので、物語は義太夫節に乗って進行する。

主演の又平を新鴈治郎、女房おとくを猿之助という配役だった。こう聞いただけでも、「あぁー、ぜったいにうまく行く」と思うでしょ。その通り。あらためて、配役は以下。

浮世又平 翫雀改め  中村 鴈治郎
女房おとく      市川 猿之助
土佐修理之助     中村 壱太郎
将監北の方      坂東 竹三郎
狩野雅楽之助     尾上 松 緑
土佐将監光信     坂東 彌十郎

「歌舞伎美人」からの「みどころ」は以下。

絵師の浮世又平は、師匠の土佐将監のもとを訪れ「土佐」の苗字を名乗ることを願い出ます。生まれつき言葉の不自由な又平に代わり、女房のおとくが切に訴えますが、又平は功績がないために許されません。長年の望みが叶わず悲嘆に暮れた夫婦は、ついに死を決意すると、又平は今生の名残りとして手水鉢に自画像を描くのでした。すると一心の思いが奇跡を起こし…。
 実直な又平と世話焼き女房のおとく。夫婦の深い情愛を描いた近松門左衛門の名作を、新鴈治郎の又平にてご覧いただきます。

この配役、それぞれの役者のニンにぴったり。でもなんといっても猿之助が良かった。彼のおかげで、鴈治郎も思う存分彼の本来もつオカシミを醸し出せたし、それによって又平のキャラが立った。

歌舞伎を見始めた20年前にこの演目を観ているし、その後も一回は観ているのだけど、それらの印象とは大分違った。今回のが最も楽しかった。鴈治郎の上方役者特有のサービス精神が発揮されたことがあったからかもしれないけど、猿之助のサポート演技のおかげもあるように思う。彼の演技、ホント秀逸だった。目を見張った。あんな演じ方も出来る人なんですね。ここしばらく観てきた猿之助とは180度違った猿之助の女形。彼は出しゃばらないよう、どちらかというとリアリズムに近い路線で演じると思っていたのだが、ここではその正反対の思いっきり誇張され、あえていうならデフォルメされたおとくを演じてみせた。なんていうか、いわゆる「くさい芝居」。でもこの段の構成を考えると、シリアス度よりもコミカル度をより高めた方が、逆に「どもり」(現代ならこれは差別語で「吃音」というべきなのでしょうが)という障害を背負った又平の、その障害故に師匠から免許皆伝を授けてもらえない彼のぬきさしならない「悲劇性」も立ち上がって来る。あの有名なおとくの嘆き(これは義太夫節に乗って語られるのですが)も活きてくる。

猿之助という役者がいかに頭が良いか、そして芝居というものに通暁しているかを認識した観劇だった。澤瀉屋を背負っていかなくてはいけない以上、「猿之助何種」なんて演目をやる場合、自由にできる範囲が限られるのかもしれない。あの三代目の芸を継承しなくてはいけないんですからね。でも人様のところで演じるとなると、逆に彼の理解したように演じられるのかも。他の役者達も彼に遠慮があるでしょうしね。やりやすかったのでは。また新鴈治郎との息がその点でも合ったように思う。とても良い組み合わせ。

さきほど検索をかけて、この演目が松嶋屋、片岡仁左衛門のお家芸「片岡十二集」になっていることを知った。だから「くさい芝居」をするのが、どちらかというと正統派ということになるのかもしれない。それをきちんと理解し、計算して演じた猿之助はすごい。また上方役者特有の懐の深さでそれを迎えた新鴈治郎もすごい。

とういわけで、この『傾城反魂香』を観れただけでも来た甲斐があったのかもしれない。