配役とみどころを「歌舞伎美人」から。
<配役>
渡海屋銀平実は新中納言知盛 松也
女房お柳実は典侍の局 壱太郎
入江丹蔵 右近
相模五郎 種之助
源義経 新悟
武蔵坊弁慶 歌昇
<みどころ>
兄頼朝に都を追われた源義経一行は、九州へ逃れるため、大物浦の渡海屋で船出を待っています。そこへ鎌倉方の追手の相模五郎と入江丹蔵が現れ、船を出すように迫りますが、渡海屋の主人銀平と女房お柳に追い返されます。まもなく船出の時刻となり、義経は家臣と共に渡海屋を後にすると、鎧姿の銀平が現れます。実は銀平は壇ノ浦の合戦で死んだはずの平知盛。女房お柳は典侍の局、娘お安は安徳帝であり、義経を待ち伏せしていたのです。知盛は義経を討ち取ろうと出陣しますが、返り討ちにあい、敗北。安徳帝を守護するという義経の言葉を聞いた局は自害し、知盛も体に碇を巻きつけ壮絶な最期を遂げるのでした。
重厚感あふれる義太夫狂言屈指の名作にどうぞご期待ください。
全体的に締まりがなかった。退屈した。なぜこの演目を選んだんだろうと訝しく思っていたら、なんとほぼ同じメンバーで昨年6月に歌舞伎座で「渡海屋」「大物浦」がそのままかかっていた。この舞台に感激。当ブログ記事にもした。
役柄は違っても二度目は初めてよりは楽ということで選んだろうだろうか。昨年、主要な役を務めた役者が抜けてしまっているのは痛い。特に染五郎。彼の知盛の碇を担いだ姿、今でも浮かんでくるほど素晴らしいものだった。松也の知盛は、知盛の纏う悲劇性が全くといっていいほど立ち上がってきていなかった。最後の連ねは特に退屈。平板の極みで、「早く終わらないかな」なんてイライラした。両隣の方達は寝てしまっておられた。床との掛け合いも機能していなかった。染五郎に教えを請うべきだった。
壱太郎のお柳と典侍の局は、二つの演じ分けにリアリティがあった。昨年6月は猿之助が演じている。猿之助の方がちょっと控え目な感じだったけど、大枠がとても似ていたので、猿之助に習った?義経役の新悟、知盛の連ねのところで、ちょっと持て余している感じだった。宜なるかな。テンポが若い人のそれと松也とではずれている感じが否めなかった。新悟に同情してしまった。
歌昇の弁慶は可もなく不可もなし。これはやっぱり昨年の猿弥が抜きん出てよかった。いやでも目立つ役。それを目立ちつつもどこかにリザーブをかけて演じるっていうの、卓越した芸なんですね。
意外に良かったのが種之助の相模五郎、右近の入江丹蔵のコンビ。滑稽で軽くて、コミックリリーフ的な役割をうまく果たしていた。緊張と弛緩との組み合わせが絶妙のリズムとテンポを生み出すのがこの芝居だと思うのだけど、その「弛緩」の部分をうまく働かせていた。これ、若い人のノリなんですよね。対する「緊張」の部分を、松也がしっかりと演じなくてはならないのに、あのダラダラ感ではそれができていない。彼だけずれていた感じ。古い演じ方にこだわった?あるいは身体ができていなかった?若いメンバーのチームなのだから、それをうまく利用というか、活用すれば良かったのにと残念。
この義太夫狂言、全体として役者の力量が見合うレベルに達していなかったということだろう。荷が勝ちすぎていたのかも。古典ではないものを選んだ方が良かったのでは?あるいは古典は古典でも世話物の方が良かったのでは。