今日は9月のお彼岸にさぼってしまった祖父の墓参に、京都の西大谷廟に出かけた。西大谷は清水寺と同じバス停なので、私の大嫌いな観光客の渦に必ずや巻き込まれる。京都の四条河原町からバスに乗ると、平日でも渋滞で時間がかかるので、今日はJR京都駅からバスに乗ろうと考え、阪急梅田で降り、大阪駅からJR を使った。
JRの車内でこの英語塾の広告に出くわした。阪急車内にもこの塾の広告が電車扉の横に掲げてあり、いつも苦々しく思っていた。伊勢谷友介の写真付き。この人の「英語力」もかなり怪しいし、その経歴も宣伝に使えるようなものとは到底思えない。でも、今日見たのは、おぞましさの極みだった!
曰く、「ニューヨークでの朝食で、黄身は半熟、白身はカリカリの目玉焼きをオーダーしながら、隣りの紳士と日本人メジャーリーガーの奥さんの美しさの話まできちゃうくらいの英語が身につく。つまり、そういうことです。決めては対話力」。
唖然、呆然!それって、どんな「対話力」なの?植民地根性丸出しじゃござんせんか。帰ってから検索をかけると、出るわ、出るわtwitter でのレスポンスが。「こんなことするために英語学びたくない」。ごもっとも。「英語以前にありとあらゆることを勘違いしていて、どこをツッコメばいいか悩む」。まさに同感。「この広告今日見て『なんじゃこりゃ』と思っていた。『日本人メジャーリーガーの奥さんの美しさ』をことさらに語るアメリカ人男性って、かなりレイシストでミソジニストじゃなかろうか。てかそもそもそんな人いるんか」その通り。日本人にもマトモな人たちがいることが分かって、一安心。
日本人の英語コンプレックスにつけこむこういう広告、許せない。「英会話力」か「対話力」かしらないけど、それをつけることが英語でのコミュニケーション能力を高めることには、まったくならないんですよ。この広告が謳っているようなシチュエーション英語をいくら駆使しても、というかその程度の発想でしか「対話」を考えていないとしたなら、それなりの相手しか対応してくれないだろう。逆にこの程度の英語力なら、数ヶ月英語圏で英語漬けで暮らせば、自然に身に付く。いわゆる「サバイバル英語」というやつです。高い授業料をこの英語塾に払う必要はありません。
中身の薄っぺらい人はそれに見合った英語しかできない。それが「ぺらぺら」というなら、アメリカでそういう軽蔑の対象でしかない人種(日本人)をいっぱいみてきた。この広告の問題はそういう「ぺらぺら」を推奨し、それがいかにも「すごいこと」であるかのように喧伝していること。これを考案した人の頭の程度がしれる。