yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「みやざきの神楽−−不土野神楽」@国立文楽劇場 2月15日

先月の文楽公演の折に会場でチラシを見つけ、申し込んだ。ただ、最近のコロナウィルス蔓延が報じられている最中、土曜日に難波近辺に出かけるのは気が重かったけれど、キャンセルは申し訳ないと考えて出かけた。開演5分前に会場に入って、驚いた。入口に設えられた宮崎物産販売にただならない人だかりができていた。入場してさらにびっくり。文楽の通常公演では多い時でも8割方の会場がほぼ満員。でも、文楽の客とはちょっと違った感じ。これ、どう解釈したらいいんでしょうか?未だに腑に落ちない。

プログラムは以下だった。

主催者挨拶

    河野俊嗣(宮崎県知事)

基調講演

    神田竜浩(文化庁参事官、芸術文化調査官)

神楽公演

  • 壱神楽
  • 鬼神面
  • 守の神楽(上)
  • 守の神楽(下)
  • 神枠
  • 山の神面

元官僚(自治省出身)らしく、知事の挨拶は短く、要点のはっきりしたものだった。しかも宮崎(神楽)への愛が感じられた。能公演の折に聞かされる京都市長やら京都府知事との的外れの挨拶とは違っていて、好感が持てた。頭がいいんでしょうね。

基調講演された神田氏も神楽一般の歴史、および神楽全体での宮崎神楽の位置づけを語られて、とても興味深かった。神楽実演の前には、こういう解説が必要なんだと、納得した。

壱神楽、鬼神面神楽共に、三番叟を思わせるものだった。同時に神楽が神事であることが、ダイレクトに伝わってきた。この二つの神楽はyoutubeで見ることができる。現地での録画である。リンクしておく。

www.youtube.com

鬼神面の後に、休憩が入ったのだけれど、私はそこで退席した。

私が我慢ならずに退席した理由は2点ある。

1.  司会者は不要だった。司会をしたのがチェコ出身の綺麗な女性で、日本歴16年ということだったのだけれど、どうも場にそぐわない。土俗的な神楽に西洋人を取り合わせる違和感。

また、彼女は日本語も英語もネイティブでないので、聞き苦しい。特に英語が。司会者は不要だとは思うけれど、どうしてもというなら、日本人、もしくは英語ネイティブを使うべきでしたね。観客の99%が日本人なんですから。

英語での解説に関しては、文楽公演と同様に舞台上に解説(英語の)を出せば、それで十分です。現に出ていました。それもしつこいくらいに。

以前に見た外国人向け文楽公演では茂山童司さんが英語で解説されていたけれど、これはとても良かった。伝統芸能に携わっている演者ではない人が解説なんて到底無理でしょう。主催者は外人女性をあてがっておけば、日本人は喜ぶだろうって思っているんでしょうか。バカにするにもほどがある。とはいえ、観客で不満だったのは私だけ?

2.あの背景。そういえばプラハで見たオペラ、『ルサルカ』の背景もこんな感じだった。帰宅して最後まで残って観劇した連れ合いにそう言ったら、西洋オペラ、演劇でもしばしば見かけた背景だとのこと。西洋の舞台をそのまま取り込んで、どうするの?シンプルに能舞台のような感じにするべきだったのでは。上にあげたyoutubeの映像を参考にしてください。祭壇が舞台奥中央に設えてあるのだけれど、アニメのそれにしか見えなかったのは、私の目がおかしかったから?

とはいうものの、二百以上もあるという宮崎神楽への興味が掻き立てられた。「国民文化祭・みやざき 2020」が10月17日から12月6日の51日間、宮崎の各市町村で開催されるという。スケジュールを合わせて、どれかに行ってみたいと考えている。