yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「中将姫雪責の段」『鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)』in 「11月文楽公演」@国立文楽劇場 11月3日夜の部

「中将姫(雪責)」の話自体はとてもドラマチック。だから、芝居の作り手の興味を引くのだろう、謡曲、浄瑠璃、そして歌舞伎で取り上げられている。以下、Wikiからの興味をそそられる解説。

中将姫伝説をもとにした演目であり、中将姫のことはこの『鶊山姫捨松』の初演以前に謡曲古浄瑠璃、また近松門左衛門の作とされる『当麻中将姫』などで取り上げられている。継母が先妻の娘を苛むといういわゆる「継子いじめ」の話は、『落窪物語』や御伽草子の『鉢かづき』にも見られるが、本作の特色は初演当時につけられた角書き「大和女(やまとむすめ)/四国女(しこくむすめ)」でもわかるように、その継母に実の娘がいて、それが「継子いじめ」の背景となっているということである(もっとも自分が生んだ娘のために、継母が中将姫を迫害することは『当麻中将姫』にすでに見られる)。現在では文楽、歌舞伎とも三段目の中将姫が岩根御前に雪中で責められる「中将姫雪責め」の場面しか上演の機会を得ないが、全体を通して読むと岩根御前が単なる悪役には納まらない人物であることが知られるのである。

「本家」ともいえる文楽の『中将姫』、今回やっと見ることができた。「mittsuの日記」さんのブログ記事に、2008年2月、国立小劇場で切りを語った嶋太夫の解説が引用されていて、興味深く読んだ。

meets.exblog.jp

今回の「中将姫雪責の段」の舞台も、その時と比肩できるものだったに違いない。「前」の語りを靖太夫、三味線を錦糸、「奥」の方は語り、千歳太夫、三味線、富助と、実力派が揃えられていた。靖太夫さんは上背を活かした文句ない美声。千歳太夫さんはグッと渋くなられて、陰惨な場を語るにぴったりだった。三味線は大好きな富助さん。感情をあまり込めすぎず、淡々と弾かれていた。そうでなくても重い舞台。これくらいのdetachmentが良い。中将姫を遣われたのは、なんと簑助さん。苛酷な舞台。それなのに一糸の乱れもない、パーフェクトな主遣い。ただただ感動。桐の谷を遣ったのはこれまた若手トップの一輔さんというのが嬉しい。最後に登場した中将姫の父、豊成卿を遣った玉男さんもさすがの大きさだった。折檻を中心に舞台が回るという陰惨さにもかかわらず、格調の高さが明確に出た舞台になっていたのは、ひとえに演者が全て粒ぞろいで、またそれぞれの調和がとれていたことによると感じた。

筋書きに掲載されていた写真には、故文雀さんが中将姫を遣っている姿が。懐かしかった。そういえば劇場ロビーに、三味線の鶴澤寛治さんが9月5日に亡くなられたとの掲示が出ていた。亡くなる直前にも「文楽夏休み公演」の舞台を務められていたという。見逃したのが残念。そうそう、先日文楽劇場小劇場で見た記録映画で文楽の方々と藤間流の藤間藤子さんが「葛の葉」で共演される様子が映っていた。太夫が住太夫、三味線が寛治さんだった。お二人とも今年相次いで亡くなられたんですね。「一つの時代が終わった」という感を強く持った。

あまりにも有名な「中将姫の雪責め」。いくどとなく聞かされていたのに、文楽で実際に見るのは初めてだった。歌舞伎でも見ていない。福助が歌右衛門が演じたのを継承して、(児太郎時代を含めて)計3回演じている。直近が1999年の金丸座。できればそう遠くない未来に、現児太郎が演じるのを見たい。 

能では『当麻』になっている。今年2月の「京都観世会例会」で片山九郎右衛門師シテ、林宗一郎師ツレのものを見るはずが、インフルエンザに罹っていけなかった。また見る機会はあると思うけど、このお二人のものを見逃したのは残念。