yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

〜懐かしの活弁ライブ〜活弁映画へようこそ!映画『瞼の母』@宝塚文化創造館4月6日

以下が公式サイトからアップした映画スチールと今回の映画のあらまし。

映画:『瞼の母』、千恵蔵プロダクション作品(昭和6年)
原作:長谷川伸 
脚色・監督 稲垣浩

弁士:井上陽一
出演: 
番場の忠太郎 片岡千恵蔵       
突き膝の壺八 成松和一           
娘お登世    山田五十鈴 

弁士の語りを初めて聴いた。もう「弁士」と呼ばれる人は井上さん以外は残っていないそうで、貴重な体験だった。

画面の下に台詞は出るのだけど、それが弁士の口から語られると、人物により表情がでて、映画全体に奥行きができる。ちょうど文楽で大夫の語りによって、人形が生き生きとし、舞台が立ち上がって来るのと同じである。井上弁士はまるで人形浄瑠璃の大夫のように、人物の声音を自在に使い分けていた。

映画版『瞼の母』ではこの作品が最も古い。Wikiによると映画化の経緯は以下。

1931年、日活が否決した『瞼の母』の企画を惜しんで、原作者長谷川伸に千恵蔵の名を騙って映画化許諾をもらい、千恵蔵を怒らせたが、首をかけて企画を通し、千恵プロと日活の契約更新第一作として完成、映画は大ヒット。この作品が駄目なら別の仕事で出直すつもりだったという稲垣は、この作品ではっきり方針を定め、監督を生涯の仕事と決めたという。

稲垣浩の名はあまりにも有名。長谷川伸作品もいくつか映画化しているが、私がみたのはこれが初めて。稲垣浩監督作品でみたことのあるのは、『江戸最後の日』(1941)、『無法松の一生』(1943)くらい。どちらもすばらしい作品だった。画面に共通点があるのだけど、カメラマンは誰だったのだろう。人物の動きを捉えるのに斜め下から撮っているのが独特だった。どちらも白黒だったけど、その良さが最高に発揮されていた。さすが衣笠貞之助の助監督を務めただけのことはある。

忠太郎の千恵蔵はさすがに手練だった。自然体でいて、それでも存在感があった。今ではこういうタイプの俳優はいない。お浜役の女優さんの名前が不明。でもいかにも江戸前の良い女だった。山田五十鈴については、「えっー、こんなときもあったの」という印象。なかなかおもしろい発見だった。