yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

STAP細胞騒動と小保方氏会見

ネット新聞の会見サマリーを読んだ。まるで禅問答。問題は「STAP細胞があるかないか」ではなく、この人のロンブンに他の人の論文のコピペがあったことだろう。それは剽窃という犯罪である。あまりにもばかばかしくて、笑うしかない。でも笑えないのは世界中に日本の研究者の書くものがこのレベルだという事実が広まること。日本の科学者の研究レベルがこの程度だと思われること。この「研究者」(まともな研究者とはとうてい思えない)は何を血迷ってこういう「会見」なるものを開くのだろう。しかもあのメイクで女の武器「泣きの演技」付きで。研究者としてだけではなく、同じ女として恥ずかしい。

これで彼女に博士号を出したW大学の権威(あるとしてだけど)も地に堕ちた。これは理系の博士号だけど、文系も似たようなものでは。日本の博士号の出し方は世界標準からみると特異である。だいたい指導教官が博士論文の主査になるなんて、日本だけだろう。その上、指導教官自体が博士号をもっていないのが多くのケースだと聞けば、もう何をかいわんやである。文系がその程度だとは知っていたのだが、理系も同じだったとは。

昇任人事の論文審査を依頼されたことがある。有名私立女子大で博士号をとったその論文に驚いてしまった。アメリカ標準だったら考えられないレベルだったから。英文学の論文なのに、言語は日本語。それもダブルスペースで打ってわずか170頁という分量。その上、仮説をたて、それを証明して行くという論文作成の基本にも則っていなくて、あきれた。アメリカだったら即突き返されるレベル。おそらく小保方氏のものも似たようなレベルだったのだろう。日本の大学院はそういう「教育」をしていない、出来る教員があまりいないのでは。教員自体、そういう訓練を受けてこなかったのだろう。でも私が審査した人の名誉のためにいっておくと、その論文には少なくともコピペはなかった。

コピペが御法度というのは研究者でなくとも、大学生の書くレポートにでも再三注意を促すことである。引用と明示しないでパクれば、それは「剽窃」というりっぱな犯罪である。それは「ケアレスミスです」といって言い逃れできるものだはない。自分の博論ばかりでなく、研究機関ででもコピペ論文を書いていたというのは、りっぱな「確信犯」以外のなにものでもない。それをぬけぬけと記者会見までして自己肯定するとは、信じられない厚顔ぶりである。

30年ばかり前、当時の文部省の肝いりで博士号を「濫発」し、世に大量の実力のない「博士」を送り出して来た日本のお粗末な実態の一端を示した事件だった。日本の博士号がいかにインフレかということが世界中に知れ渡っただけでなく、若手研究員のレベルの低さも知られてしまった。日本の「なあなあ社会」ではアメリカのような熾烈な競争なんて考えられない。日本最高の研究機関の一つであろう理研も例外ではなかったのか。でも派閥間の権力闘争はしっかりとあったようで、そこに若い女性が絡むと何が起こるか、そういう要らぬ心配、憶測までしてしまう。アメリカでもそういうのがまったくないわけではないけど、でもあのレベルの低さではない。もっとギラギラしているし、またあんな天然バカはとっくに淘汰されている。あの方、本当にハーヴァード大にたとえわずかな期間でも研究員として所属していたのだろうか。到底信じられないけど。彼女を指導したという人の弁明を聴きたい。

日本の博士号が世界標準からいかに乖離しているかを示したことで、優秀な研究者が日本に見切りをつけ、海外、とくにアメリカに行き、そこでPh.D.を取り、研究を続けるという事態がよりいっそう増えるような気がする。優秀な研究者には日本の環境はあまりにもお粗末すぎる。理系、文系を問わずそういえるのでは。残念だけど。