yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

長谷川伸の「母恋」と共振する中車の父恋の『瞼の母』in「十二月大歌舞伎」第三部 @歌舞伎座 12月5日

今までどれほどの数の『瞼の母』を見てきたことか。勘九郎のものを見たのは2012年9月、松竹座での「勘九郎襲名興行」でだった。歌舞伎ではこれのみ。そのほかは全て大衆演劇でのもの。どれもそれぞれに味わいがあった。とはいえ、歌舞伎版よりも大衆演劇のものに軍配が上がるのは、原作の体質がこちらに近いからだろう。勘九郎の忠太郎には「泣けなかった」が、大衆演劇版ではどんな役者が演じても、やっぱり泣けた。負っているものの重さの多寡によるのかなんて、考えていた。

そして今回の中車の忠太郎。これは胸に迫った。あの臭いセリフ、「上下の瞼を合せりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだ。逢いたくなったら目をつぶろうよ」が、なんの抵抗もなくストンと落ちた。演技力もあるだろうけれど、それ以上に大衆演劇的な、いってみれば根無し草的「母恋い」の想いが中車の身体の抜きがたい一部になっていたからだろう。彼の根底にあるのは、やっぱりこれなんだって確信してしまった。彼の中にある「喪失感」の重さを改めて感じた。これを歌舞伎で演れるのは、彼しかいない、やっぱり。「これを言っちゃおしまいよ」というのを承知で言わせていただければ、体験は、それも身を喰むものはそのまま血となり肉となって、顕れ出ずにはおれないということ。「男女の心の機微を知りたければ女遊びをせよ」なんて下世話なレベルのことではなく、もっと根源的な存在の立ち位置に係ること。有りか無しかとったギリギリの一線。役者以前に人としてそれを見てしまったんでしょうね、中車という人は。またそれが彼の原動力にもなっているんでしょうが。

長谷川伸も同様の体験を土台に作品を書いてきている。ずっと後になって実際には実母に再会したようではあるけれど、だからといって抱えていた喪失感が解消したわけではないだろう。中車にもそれはいえるはず。喪失感はすでに自分の一部になってしまっているから。もう取り返しはつかないんですよね。

そんなことに思いを馳せながら見ていた『瞼の母』。長谷川伸の作品に共通しているのはこの母恋いの想い。フロイトではマザコン、ラカンに倣えば想像界(=母)的一体感の喪失感になるんだろうか。これが通奏低音のようにどんな作品にも流れている。女である私には、抵抗感がどうしてもある。でも、それを差し引き、想像力をたくましくして忠太郎の心理に近づけば、やはり男女というジェンダー差を超えて普遍的な想いであることが納得できてしまう。そこが長谷川伸の並外れた筆であるところかもしれない。また、彼に遺した体験の重さの為せる技なのかもしれない。

翻って中車。彼も成年になって再会をした父に拒絶された。その後、関係は修復され、香川照之は中車として歌舞伎界に入ったものの、その「拒絶」体験は抜きがたく彼の中に遺っていたはず。今回の『瞼の母』は父の拒絶を再体験、再構築する場であったはず。それでなくてはならなかったはず。普通の役者なら尻込みするところを、さすが中車、あえて挑戦し、格闘し、ねじ伏せて見せたところはあっぱれ。でもね、最後のあの「やせ我慢」シーン、泣けます。

玉三郎は勘九郎と出たときよりもずっと「弱気」のおはまだった。もっと情に脆い感じ。実際にも情に篤い玉三郎丈。これは穿ち過ぎかもしれないけど、中車の背景を承知で「同情」しないではおれなかった?孤軍奮闘のみなしご(ハッチ)に感情移入せずにはおれなかった。緻密な玉三郎なので、これは計算上の「情」だったのかもしれないけど、やっぱり私には彼の中車への温かい「同情」が見えた気がした。

配役とみどころを「歌舞伎美人」サイトからお借りする。

長谷川 伸 作
石川耕士 演出

<配役>
番場の忠太郎    中車
金町の半次郎    彦三郎
板前善三郎     坂東亀蔵
娘お登世      梅枝
半次郎妹おぬい   児太郎
夜鷹おとら     歌女之丞
鳥羽田要助     市蔵
素盲の金五郎    権十郎
半次郎母おむら   萬次郎
水熊のおはま     玉三郎

<みどころ>
すれ違う親子の情を描く股旅物の名作
 母と息子の互いを思う心情を巧みに描き出す『瞼の母』は、長谷川伸による新歌舞伎です。作者が幼い頃に経験した母との別れを題材にした作品で、一途に母を思い、幼い頃に別れた母をずっと探してきた忠太郎と、母おはまが対面する場面がみどころです。しかし、おはまは母と名のらず、親子は再び別れることとなり…。
 一心に母の面影を求める息子と、将来のことを考え冷たい態度をとる母のせりふの応酬、名ぜりふが胸を打つ新歌舞伎の傑作にご期待ください。

児太郎がしみじみと良かった。おぼこい娘を演じても納得。「野崎村」のお染の時にはその成長ぶりに鳥肌がたったけれど、今回、お染とは真逆の役を完璧に演じていた。いい役者さん。梅枝も負けずに良い。二人とも玉三郎が「指導」しているとか?その成果の素晴らしさに目を瞠る。玉三郎が役者のみならず師匠としても稀代の人ということでしょう。歌舞伎界に彼がいてくれて良かった。歌舞伎の宝!