いわずと知れた三島由紀夫の最後の歌舞伎作品である。私はペンシルバニア大学に提出した博士論文の一章をこの作品に当てたので、以前からどうしても見たい作品の一つだった。何しろ初演(三島自決の1年前、つまり1969年)以来2回のみ舞台にあがったきりで、今度がやっと4回目という、ほとんど上演されない作品だからである。
以下にチラシ画像を公式サイトからお借りする。
そして、その理由も少し分った気がした。今までにみた三島の芝居はどれも「傑作」で、一つとして冗漫だったり、退屈だったものはなかった。だが、この作品は残念ながら退屈だった。それが演者のせいなのか、それとももとの脚本のせいなのか。一ついえるのは、通しで演らない方がいいということである。というのもまず、主筋、副筋があまりにも飛躍だらけで、プロット構成が複雑すぎる。これを脚本で読むと、そこのところはあまり無理があるようには感じられないのだが、舞台にあがった途端、なんともわけが分らない様相を呈してしまう。あの完璧主義者の三島がそれに気づかなかったのは、おそらく他のことで頭が一杯だったからではないだろうか。主筋、副筋の構成が複雑だと言ったが、それらを統一するテーマがないとはいえない。それは「英雄の死」とその復活である。三島自身がこの「テーマ」にあまりにもオブセッスされていたため、作品との間に距離がとれなかったのではないだろうか。それほど「さしせまった」感じがする。脚本で読むのと、舞台に乗ったものを観るのとの決定的乖離がそこにある。
初演では松本白鸚が為朝を演じた縁で今回その孫の染五郎が演じているが、これはちょっと彼のニンには合っていなかった。歌舞伎通いを復活させて以来、染五郎の才能を高く評価するようになったけれど、この為朝はかなり無理があるように思った。染五郎がその真価を発揮できるのは、やはり心理にふみこんだ繊細な役柄だと思う。三島でいえば「近代能楽集」のいくつかの作品が思い浮かぶ。しかし、しかしである、この三島最後の歌舞伎作品はある意味それまでの三島作品らしからぬものである。つまり、為朝はあくまでも英雄であり、ひとつのひな形、タイプとして描かれている。唯一の例外は彼が崇徳院への思いを吐露するところのみである。あくまでも些細なことに気をとられない豪傑として演じられなくてはならないのだ。ある種、「無神経」な男として演じられなくてはならない(三島はそういう男になんと憧れていたことか!)。それには染五郎は無理があるように思う。そういえば初演時、白鸚にも三島は不満だったようである。三島が自身をアイデンティファイしていた「英雄」だから、誰が演じても「不満」には違いないのだけれど。
というわけで、わざわざ東京に泊まりがけでいった甲斐は残念ながらあまりなかった。でもお昼の部の『西郷と豚姫』が面白かった。獅童が西郷を演じたのだが、これはまさに彼のニンにぴったりだった。それが分っているのだろう。獅童も豪放磊落な西郷を生き生きと演じていた。この作品についてはまた別記事にする。