綺堂に再会!そういや、綺堂作の歌舞伎狂言はいくつもあるし、今まで結構見てきている。幕間ではKindleで『半七捕物帳』を読んでいたので、これまさに綺堂漬け。江戸情緒に浸れてシアワセ。
駕籠かきといえば、「権三と助十」っていうのがお決まり。大衆演劇芝居の十八番でもある。Wikiによると、「そもそも駕籠舁(かごかき)の権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)は、「大岡越前守」の通称で知られる実在の人物、大岡忠相(1677年 - 1752年)についての伝承・評判の類いを集めた講談『大岡政談』のエピソード『小間物屋彦兵衛』のエピソードの登場人物であった」とのこと。
歌舞伎の綺堂版はそれのスピンオフというわけ。大衆演劇の同名の芝居の内容とはほとんど重ならない。なぜなのかはちょっとわからないけど。
以下、例によって「歌舞伎美人」からの引用。
岡本綺堂 作
大場正昭 演出<配役>
権三 獅童
助十 染五郎
権三女房おかん 七之助
助八 巳之助
小間物屋彦三郎 壱太郎
猿廻し与助 宗之助
左官屋勘太郎 亀蔵
石子伴作 秀調
家主六郎兵衛 彌十郎
<みどころ>
喧嘩っ早いが人情に厚い江戸っ子たちの喜劇
裏長屋では、年に一度の井戸替え中。しかし駕籠舁(かごかき)の権三が井戸替えに顔を出さないので相棒の助十と大喧嘩になります。そこへ長屋に住んでいた小間物屋彦兵衛の息子の彦三郎がやって来て、人殺しの罪を着せられて牢死した父の無実を、家主の六郎兵衛に必死に訴えます。これを聞いた二人は、事件の夜に左官の勘太郎が現場付近で刃物を洗うのを目撃したと証言します。そこで六郎兵衛は一計を案じ、権三、助十、彦三郎と共に奉行所へ訴え出ます。しかし、罪を認めない勘太郎は釈放されてしまい…。
江戸の風物と市井の人々が生き生きと描かれた世話物をご覧ください。
大場正昭演出はいつも手堅い。人物それぞれの特徴と、その決めどころが際立つような演出。その演出に応えて、役者も奮闘。一人の例外もなく素晴らしい演技だった。今回の納涼歌舞伎の中で最もまとまっていたかもしれない。
獅童が素晴らしい。こういう役がまさにニン。義侠心はある。でもちょっと気が良すぎる、つまり弱い。威張っているようで、どどのつまりは女房(七之助)の尻にひかれている。ふにゃふにゃしたところが可愛い。
それに対して助十(染五郎)の方はちゃっかりと自分勝手。でも気の良さは権三と共通している。身を守るセンスに長けているところは、まさに当時の江戸庶民の特徴を表している?染五郎も嬉々としてこのいい加減な男を演じている。いい加減なんだけど、憎めない。この呼吸が見事。
江戸庶民らしく、そこそこ常識をわきまえたこの二人に対し、助八はすぐにかっとなる喧嘩っ早い男。実際は気が弱いところが見え隠れ。この空元気男を巳之助が演じて、説得力があった。こういう役、まさにはまり役。これがお父上との違い。でも、なんとも言えない愛嬌があるのはお父さま譲りかも。
権三女房おかん役の七之助はもう文句のつけようがない。この公演では兄勘九郎共々大活躍。それもこういう古女房から花魁までの幅の広い役を演じている。いずれもが完璧。どんな役を演じても華がある。現在の女形では一番だろう。後に続く米吉、(尾上)右近、梅枝、新悟、壱太郎らの若手女形役者に一つの手本を見せてくれている。今や歌舞伎では女形が花盛り。上に出した役者さんたち、みんな力も花もある。七之助を中核にして、今後がものすごく楽しみな女形の布陣。
小間物屋彦三郎を演じた壱太郎は、ここでは立ち。真面目な孝行心の篤い若い男を演じてよかった。立ちもいけますね。
猿廻し与助役の宗之助、今まであまり目立たなかったのだけど、これで見直した。猿をかわいがる様、失って悲しむ様、見ている側が思わず感情移入してしまう演技。飄々としているんだけど、惹きつける勘所がわかっている。
左官屋勘太郎役の亀蔵はいつもながらの悪役。彼なしでは歌舞伎狂言が成り立たないくらい、いつもツボにはまった悪役ぶり。計算された演技が秀逸。
家主六郎兵衛役の彌十郎はまさにニンにぴったりの役。ここしばらくは新しい歌舞伎で悪役専門だったので、ちょっとホッとしたりして。
登場するすべての役者がそのニンにあった役なので、見ている側は実に楽。そして心置きなく楽しめる。「えっ、大丈夫?」って危ぶむことがない。こういう役者、構成において完成体に近い狂言を見ると、第二部、『艶紅曙接拙』、第三部の『土蜘』に出てくる襲名を控えた若手役者たちの未熟ぶりが目立ってしまう。