原作はもちろん三島由紀夫。
以下松竹の「歌舞伎美人」からの紹介。
<配役>
鰯賣猿源氏:勘九郎
傾城蛍火実は丹鶴城の姫 七之助
博労六郎左衛門:獅童
傾城薄雲:巳之助
同 春雨:新悟
同 錦木:児太郎
同滝の井:虎之介
同 乱菊:鶴松
庭男実は薮熊次郎太:市蔵
亭主:家橘
海老名なあみだぶつ:彌十郎
<みどころ>
鰯賣の猿源氏は、大名の相手のみをする傾城蛍火に一目惚れをしてしまい、寝ても覚めても蛍火のことばかりを想って、仕事も手につかない有様。その話を聞いた父親の海老名なあみだぶつは一計をめぐらし、猿源氏を東国の大名に、博労六郎左衛門を家老に仕立て、廓へと向かいます。なんとか大名に化けたつもりの猿源氏でしたが、蛍火の膝枕で寝るうちに、寝言から鰯賣であることがばれてしまいます。嫌われてしまうと思った猿源氏でしたが、蛍火は自分の身の上を語り始めると…。三島由紀夫が御伽草子を題材に書き下ろした作品で、三島歌舞伎の中でも代表作のひとつとして知られています。おおらかで、笑いに包まれた舞台をお楽しみください。
私はこれを1995年6月に歌舞伎座で観ているが、そのときの組み合わせが、昼の部が『伊勢音頭』、夜の部が『鰯賣戀曳網』だった。当時勘九郎だった十八世勘三郎が『伊勢音頭』では喜助を演じ、『鰯賣戀曳網』では猿源氏だった。勘三郎の二人の子息はこのときの「再現」をしようとしたのだろう。思わずホロリとした。今回の『伊勢音頭』では十八世が親しかった仁左衛門(1995年公演では貢)が喜助にまわり、息子の勘九郎が貢を演じていて、この配役自体がまさに「追善」になっている。
『鰯賣』の話自体はいろいろな題材のコラージュになっている。上の概要にあるように、そもそもは「御伽草子」から着想を得ている。また、太夫(傾城)と身分の低い男との「恋」は『紺屋高雄』を、そして見初めは『籠釣瓶花街酔醒』を取り込んだもの。三島の古典劇はこういう下敷きになるものがあって、それを土台にし、それを修辞的言説を駆使した台詞で覆うことで華麗な世界を描出するものが多い。『近代能楽集』の作品がそうだし、『椿説弓張月』もしかりである。古典の自然な形での(素直な)アダプテーションを目指したのではなく、むしろ台詞と人物との間に不協和音を響かせることで、不条理性を際立たせている。そこには作為性、人工性が見て取れる。三島は理解し易い「美」をめざしたのではなく、悲劇につきものの「サブライム」を浮き上がらせようとした。果敢な試みであるがゆえに、「失敗」も多かった。失敗の原因は、作品そのものにというよりも、それが演者の、そして観客の理解をこえてしまっていたところにあったからではないか。
その点、喜劇の『鰯賣』は楽しんで、思いっきり脱線しながら書き上げたのだろう。三島の演劇センスがもっとも遺憾なく発揮された作品。彼の他作品のようなぎりぎりまで張詰めた緊迫感はない。初演のときから、役者にとってはやりやすかったに違いない。「三島歌舞伎」だと構える必要もなかっただろう。
初めてこの演目を観た折、あまり三島らしくない気がした。でもそれは私の中に三島=悲劇という思い込みがあったからだろう。猿源氏は当時の勘九郎のニンにぴったりだった。まだ「若かった」玉三郎はその勘九郎のうきうきした気分に引っぱられて、彼がよく演じていたお姫様とはひと味もふた味も違う蛍火を楽しんで演じていたにちがいない。それがやがては彼を歌舞伎べったりといった立ち位置から次第に他のジャンルに引きずりこんで行くきっかけになったように思う。
さて、勘九郎と七之助。到底父の十八世には及ばないだろうと、観る前には推測していた。だけど、そういう予測を裏切ってくれた。うれしい。
あまりオモシロ味のなさそうだった勘九郎だったのに、猿源氏の滑稽さをみごとに演じていて感心した。先日みた『乳房榎』よりずっとよかった。彼の本領は案外こういう喜劇にあるのかもしれない。今までみたことのなかった勘九郎だった。いきいきと実に楽しそうだった。気負いがなかった。相手が弟の七之助ということもあったのかもしれない。二人のかけあいも大仰でないおかしみがあり、ほんわかとオカシイ。こういうのがとても説得力があった。三島自体はそうユーモアのセンスに秀でていたとは思えないけど(私見ですが)、舞台に乗せるとこういう形になるんですね。いわゆる上方型の笑いでない三島作品の笑いに、上方のオカシ味を付けたのはひとえに勘九郎の上方DNAに負っているのだろう。その意味でも十七世、十八世の追善になっている。
なんとか宇都宮弾正に化けて蛍火のいる東洞院の揚屋にやってきた猿源氏。その決まらないサマがほんとにおかしかった。傾城たちにからかわれる場面の初心ぶりもなかなか。これが勘九郎のニンに近いかも。それと傾城の巳之助と虎之介がおかしい。新悟、児太郎は女形だけど、この二人は普段は立ち。けっこう美人にみえたから不思議。でもなんとなくオカシイ。
博労でにせ中間として猿源氏に付き添って来た六郎左衛門役の獅童も肩の力が抜けた演技でよかった。ドジを踏む猿源氏をなんとかサポートしようとしているところに、なんともいえないオカシ味があった。十八世に可愛がられていたという獅童、こういう形のサポートで「恩返し」をしているのかも。
三島脚本の本領が発揮された箇所は猿源氏が披露する魚の軍紀物語。さらに極めつけは、猿源氏が蛍火にする寝言、「伊勢の国の阿漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」という呼び声の言い訳。それが古歌に因むものだというのに、和泉式部と藤原保昌の故事を「こじつける」猿源氏。三島のペダンティシズムが全開である。三島という人は西洋文学・哲学の知見と造詣の深さには圧倒されるばかりだけど、日本の古典とくれば自家薬籠中のもので、知識としてのみならず感性的にもはまりきっている。もうただ感嘆。悲劇を書かせたらそれがあまりにも直で出てしまうので、ときとしてoverwhelming。でもこの『鰯賣』ではそれがオカシ精神の衣を着て出てくるので、親しみを感じる。バランスがとれている。
追善公演にこの『鰯賣』を選んだのは大成功だったと思う。「追善」はたいていは表向きの看板にしかすぎないことが多いけど、今回の公演、とくに『伊勢音頭』とこの『鰯賣』は内実がともなっていた。