十七世中村勘三郎二十七回忌
十八世中村勘三郎三回忌 追善
上記のようにこの公演は二人の故勘三郎の追善公演だった。というわけで、ほとんどの演目に十八世子息の勘九郎、七之助が出演している。
昼の部最後の演目、『伊勢音頭』では以前から再度観たいと願っていた玉三郎の万野が観れた。それだけでも大満足。おまけに彼の「盟友」の当時の孝夫(現仁左衛門)も喜助役で競演。これだけでも垂涎もの。
以下、「歌舞伎美人」からの「配役」と「みどころ」。
<配役>
油屋店先
同 奥庭
福岡貢:勘九郎
油屋お紺:七之助
今田万次郎:梅玉
油屋お鹿:橋之助
油屋お岸:児太郎
仲居千野:小山三
藍玉屋北六実は岩次:桂三
徳島岩次実は北六:秀調
仲居万野:玉三郎
料理人喜助:仁左衛門
<みどころ>
名刀の行方に翻弄される男を描いた世話物狂言 伊勢の御師(下級神官)の福岡貢は、かつての主筋にあたる今田万次郎から、紛失したお家の重宝青江下坂の名刀探索の命を受け、見事取り戻します。万次郎に刀を渡そうと貢は、伊勢古市の廓、油屋を訪れますが、行き違いになってしまい、その場に残った貢は止むなく刀を料理人の喜助に預けます。この油屋には貢と恋仲の遊女お紺や、貢に想いを寄せているお鹿もいますが、お紺は、訳あって満座で貢に偽りの愛想づかしをします。さらに意地悪な仲居の万野にまで罵倒され、怒りのあまり貢がとった行動は…。 貢は「ぴんとこな」と呼ばれる、和らかみに強さを持たせた役柄です。油屋店先での貢が次第に激昂していく様子、さらには奥庭での殺しの場面での、歌舞伎ならではの様式美など随所にみどころ溢れる作品をご堪能ください。
私が以前に観たのは1995年6月の歌舞伎座でのものだった。以下がそのときの配役。
福岡貢 = 片岡孝夫
油屋お紺 = 中村雀右衛門(4代目)
仲居万野 = 坂東玉三郎(5代目)
料理人喜助 = 中村勘九郎(5代目)
油屋お鹿 = 澤村田之助(6代目)
奴林平 = 中村翫雀(5代目)
今田万次郎 = 中村扇雀(3代目)
油屋お岸 = 片岡孝太郎(初代)
孝夫の貢も雀右衛門のお紺もニンに合っていて、今でも思い描けるくらいである。でもなんといっても玉三郎の万野には意表をつかれた。玉三郎といえば綺麗どころの役と思い込んでいたので、色の浅黒い中年女で登場したときは、しばらく彼とは分からなかったほどだった。そんな外見なのに、廓の女特有の色気があって、その色気の発揮されるところが貢いじめのところなんだから、たまらない。顔の下半分、とくに唇を歪めて、「あのナー、みつぎさーん」としなを作りつつ、ねちねちとサディスティックに貢をいたぶるところは、実に秀逸。なんてすごい役者だろうと圧倒されたものである。
その後1999年に玉三郎は歌舞伎座で万野を演じているが、そのころ私はアメリカにいたので見逃している。玉三郎自身が歌舞伎から距離を置いていたので、二度とみることはあるまいと思っていた。それが観れた!
というわけで、二回も観てしまった。17日には三階席で、20日には大奮発して一階席で。それも前から三列目の花道上手横の席を先行販売を利用して確保した。彼の顔がいやというほどはっきりと見えた。美しい女という役ではなかったにもかかわらず、美しかった。口を歪めるその顔の筋肉の動きまでオペラグラスを通さずにみることができた。やっぱり近距離で観るに限ると思い知った。いつもそうしたいのはやまやまだけど、そんな贅沢は無理。
勘九郎の貢も手堅い演技だった。彼は昼夜ともにほとんど出ずっぱりなので、役の演じ分けに苦労したと思う。でもそれぞれはきちんと嵌って演じていたので、二、三年前と比べると、目覚ましく「成長」している。弟の七之助は以前から上手かったけど、さらに女形が板についてきていた。
意外に(失礼!)良かったのが今田万次郎役の梅玉。彼のつっころばし役は『曾根崎心中』の徳兵衛などが秀逸だけど、こういったワキでも手を抜かずに演じるところに感心した。
そして、喜助役の仁左衛門。オトコマエで清潔な色気があって、男のお手本のような粋さ。姿も声も以前と変わらず、うれしかった。大病をしてからはちょっと「老けたかな」と思うときもあったけど、この日至近距離でみる仁左衛門は年齢を感じさせない若さだった。この役もワキなのに、まったく手を抜いていなかったのはさすが。
中村屋の番頭、小山三は仲居千野役で奮闘。やっぱり味がある。十七世も十八世もこの方抜きでは語れないですものね。元気な姿がみれただけでもうれしかったけど、独特の色気も堪能できて(ちょっと笑ってしまった)満足。