yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『平家女護島 俊寛』十月花形歌舞伎@新橋演舞場10月18日昼の部

以下、「歌舞伎美人」から。

<配役>
   
俊寛僧都 右 近
海女千鳥 笑 也
丹波少将成経 笑三郎
平判官康頼 弘太郎
瀬尾太郎兼康 猿 弥
丹左衛門尉基康 男女蔵

<みどころ>
昼の部は市川右近の『俊寛』で幕開きを飾ります。
 

鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経は流人の生活に疲れ果てています。そこへ都からの赦免船が到着し、上使が現れ、三人の赦免が告げられますが、成経と夫婦となった千鳥は乗船が許されません。悲嘆にくれる千鳥の様子を見た俊寛のとった行動とは…。
 

俊寛の孤独と悲劇を描く近松門左衛門の名作をどうぞご堪能ください。

右近の俊寛が文句なしによかった。歌舞伎立ち役の大御所のほとんどが演じたといっても良いこの演目、私はたいていは退屈して観ていた。結末を知らないでみていれば、俊寛が決断に至るまでがある種のサスペンスになるのかもしれない。それによって、最後の俊寛の悲嘆にくれるさまが、迫ってくるのだろう。でも手あかがつくほど、この場面を何度もみていると、サスペンスはないし、悲嘆にくれるといっても、それは当時の佐渡島流罪の意味があまりピンとはこない現代の観客の理解を超えているだろう。

だから今回もそう期待せずに観た。でも右近の俊寛はとても説得力があり、この演目で初めて泣いた。

筋書に載っていた右近へのインタビュー記事に、彼が十八歳で二代目猿翁の欧州公演に付いて行った際、この作品の反響の大きさに圧倒されたと答えている。十八世勘三郎も海外公演にこれを持って行って反響があったらしいのだが、「ホント?」と思ってしまう。十八世勘三郎の『俊寛』は二度みているけど、あまり感銘を受けなかった。そういえば猿翁のものは観ていない。ということは、猿翁のやり方は他とは違っていたということ?右近が師匠のやり方を真似ているとしたら、猿翁の俊寛はきっと圧倒的な力をもっていたのに違いない。

最近では吉右衛門の俊寛をみているが、もっとアッサリ目だった。右近のはかなり激しい感情移入がある。でもそれがいやらしくなく、真に迫るものだった。俊寛のみじめさがひしひしと伝わってきた。それがゆえに、彼が最後に船を見送る場面が胸を打つ。右近はインタビューの中で「世阿弥の『離見の見』を忘れず演じることができればと思います」と言っているが、その「心」が彼の描く俊寛像となって、示されたということか。世阿弥の『離見の見』は彼の『花鏡』で説かれた世阿弥独自の演技哲学である。右近が自らにそれを課したということは、どんなにその役と一体化しようとも、そこに常にそれを離れて(客観的に)観ている目をもって演じたということ。その「離見の見」意識が強かったのが、彼の演技を他の大御所たちと差別化したということだろうか。

いつもは女形の笑三郎が丹波少将成経を演じたのにも驚いた。都から来た貴族の雅さと素直さを忠実に演じて秀逸。このひとはどんな役でも手をぬかない。

海女千鳥役の笑也も都の女にない鄙びた可憐さを上手く出していた。この人と笑三郎が右近をサポートすれば、無敵の布陣。だからこの『俊寛』が他のそれよりずっと胸に迫るリアリティを醸し出せたのかもしれない。