yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

俊寛の「悟り」を演じた吉右衛門 『俊寛』 in 「秀山祭九月大歌舞伎」@歌舞伎座 9月25日

以下、「歌舞伎美人」からの配役一覧とみどころを

<場>

鬼界ヶ島の場

 

<配役>

俊寛僧都
海女千鳥
丹波少将成経
平判官康頼
瀬尾太郎兼康
丹左衛門尉基康

吉右衛門
雀右衛門
菊之助
錦之助
又五郎
歌六

 

<みどころ>

絶海の孤島で起きる悲劇

 鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経。俊寛は流人生活に憔悴していますが、成経が島に住む海女の千鳥と夫婦になることを聞き、日頃の憂いを忘れ喜び夫婦の盃事を行います。そこへ都からの赦免船が到着し、上使の瀬尾太郎兼康から康頼と成経の二人が許されることが知らされます。自分の名がない俊寛は嘆きますが、もう一人の上使丹左衛門尉基康が現れ、俊寛にも赦免が告げられます。一同は喜びますが、千鳥の乗船は許されず、悲嘆にくれる千鳥の様子を見た俊寛は…。
 俊寛の孤独と悲哀を描き出す近松門左衛門の名作をご堪能ください。

 

5年前に吉右衛門の俊寛を見て、「立派」すぎるように感じていた。ブログ記事にしている。原作の『平家物語』での俊寛の場面と比較して、俊寛の惨めさを淡々と描写する原作の方が、吉右衛門の演じるどこか人格者である俊寛像より胸に迫る感じが強くした。

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その後、DVDになった観世寿夫師の能『俊寛』をみて、こちらは声をあげて泣いてしまった。どこまでも惨めったらしい俊寛。去ってゆく船の艫先に手をかけて、なんとか出航を止めようとする。彼の惨めさと悲しみがリアルに伝わってくるものだった。しかも、その惨めさをどこか第三者的に見ている目を、感じさせる演技だった。その後、味方玄師、観世銕之丞師お二方のものを舞台で見ている。観世寿夫師の「解釈」に近い「俊寛」だったと思う。

歌舞伎ではもちろん十八世勘三郎のものも、また最近では市川右近のものをみているけれど、いずれも船を見送る際、身をよじり嘆き悲しむものだった。その前に「千鳥に譲る」という自己犠牲があった上での、この悲しみは複雑で、その陰影を描くという心理劇的な要素が多分にある作品だと感じた。でも正直なところ、こういう「派手な」演出はあまり好きではない。「お涙頂戴」に見えてしまうから。また、能では千鳥は登場しないし、だから、俊寛の「自己犠牲」もない。冷徹に俊寛の僧らしからぬ取り乱しぶりを描いている能版の方が、俊寛の悲劇がダイレクトに伝わるように思う。

そして今回の吉右衛門の『俊寛』。取り乱し、嘆くというのはあったのだけれど、どこか達観しているような感じを出していた。それが今や「標準」(?)になっている勘三郎型とは一線を画していた。そのアプローチの理由に合点がいった気がしたのは、歌舞伎サイトにアップされた吉右衛門の述懐を読んだから。

10年、20年前だったでしょうか。最後の場面で(客席の方を見て)船を見送っていると、視界の上の方から、何かがフッとおりてきました。弘誓(ぐぜい)の船では、と思われるものが見えたのです。想像か錯覚によるものでしょうが、私にはそれが俊寛の状態に合っていると感じました。弘誓の船が来る。それは、そのまま死んでいくという意味にもとれます。実際はそうではないかもしれませんが、この芝居におけるは俊寛は、幕の裏で息絶え、解脱し昇天していくのではないか。それ以来、幕が閉まりきる寸前に、ふっと弘誓の船を見上げるように演じています。

そうなんだと納得。祖父である初代吉右衛門が「発掘」、発展させたという『俊寛』。それを守り、また彼なりの解釈を施して発展させようとする吉右衛門の心意気を感じた。