大仰なタイトルが付いていた。曰く、「三代猿之助四十八撰の内 金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)大喜利所作事 双面道成寺 市川猿之助宙乗り相勤め申し候」。
以下、「歌舞伎美人」からの引用。
<配役>
如月尼娘清姫
右衛門尉藤原忠文:猿之助
白拍子花子実は清姫の霊 :猿之助
狂言師升六実は忠文の霊 :猿之助
北白川の安珍実は文珠丸頼光:門之助
寂莫法印:猿弥
将門妹七綾姫:米吉
能力白雲:隼人
能力黒雲:弘太郎
およし実は将門腰元桜木:春猿
田原藤太秀郷:錦之助
如月尼実は乳人御厨:歌六
<みどころ>
続いては猿之助の『金幣猿島郡』を上演いたします。この作品は四世鶴屋南北の絶筆となった作品です。謀反の末討たれた平将門の妹の七綾姫は、宇治にかくまわれているうちに、許婚である愛しい僧安珍(実は文珠丸頼光)と再会できました。しかし、この家の盲目の娘清姫は、宝剣の威徳によって目が開くと、目の前の頼光こそかねてより恋慕う人とわかり、七綾姫への嫉妬に狂って蛇体と化します。頼光と七綾しやがて清姫と忠文の霊は中空へ飛び去って行きます。最後は『道成寺』ものに、清姫と忠文の合体する〝双面〞の趣向を取り入れた舞踊で打ち出しとなります。
人口に膾炙し歌舞伎でも頻繁に踊られる「道成寺舞踊」とはあきらかに一線を画している。趣向はいかにも南北。その南北に武智鉄二が補綴、それをさらに石川耕士が補綴、演出は猿翁である。この組み合わせをみただけで、どんな作品に仕上げられているのか、ほぼ想像がつく。背景に清姫の怨念があるとはいえ優美な踊りに終始する『道成寺』とはまったくちがった代物。なんとも摩訶不思議な世界を現出させる。
筋書に付いていた解説によると、この作品は文政12年(1825)に江戸中村座の顔見世で初演。四世南北の絶筆作品だそう。初演からは長く上演が途絶えていたのを、昭和39年(1964)、三代目猿之助(現猿翁)が武智鉄二の補綴で復活上演した。その後も場面を増やしながら上演を重ね、「三代目猿之助四十八撰」のひとつになったという。現猿之助にとっては、文字通り伯父の持ち札への挑戦でもある。襲名後も熱心に「四十八撰」を演じている猿之助。この「訳のわからないこんがらがった筋書」をどうすっきりとみせれるかがポイント。彼のニンは伯父とはあきらかに違っているから、同じ演じ方では負けてしまう。お手本があまりにも強烈なので、それに引きずられずどこまで彼独自の世界を創り上げれるかどうか。四代目のニンはもっと楚々としている。伯父が生来纏っているアクの強さはない。南北作品にはアクの強さが必要なのだけど、それが弱い場合、どうカバーするか、さらにはその結果にどれだけインパクトを持させられるかが鍵になる。
結論からいえば、彼の独自性を出すには成功していた。猿之助なりに最大限がんばっていたのだと思う。でもインパクトという点からみると、先代には及ばないのでは。複数役を主演の役者がこなすという趣向は『伊達の十役』も同じ。海老蔵は毀誉褒貶はあるが、こういう得体のしれない怪物的エネルギーを持つ役にははまり役である。それに比べると猿之助は知的であるがゆえに、どこか「計算」がいつも付いて回るような気がする。それはそれで魅力なのだけど。怪物のようなやみくものパワーを披瀝するとなると、どうしてもムリがある。清姫だってどこか可憐さが付いて回り、蛇体に変貌するその気味悪さが減じている。その点では七綾姫役の米吉とイイ勝負(?)。猿之助の今後の課題は伯父の四十八撰をどう自分風に料理して行くかということだろう。
それにしても8月の納涼歌舞伎の『恐怖時代』といいこの作品といい、武智の補綴・演出作品がつぎつぎに板に乗るようになっているのは、よろこばしい。彼のすごさが認識され始めたということか。先駆的な挑戦はそのときには正しく評価されずとも、やがて陽の目をみることになる、それが必然ということかもしれない。