yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

琵琶演奏会「源平の絵巻」@黒谷永運院 5月22日

今日は大失敗をしてしまった。招待していただいていた琵琶の演奏会に遅刻してしまったのだ。松竹座の歌舞伎昼の部を観てから、琵琶の演奏会に出るつもりだった。演奏会の開始時間を昨日と同じ午後6時からと思い込んでいたからである。ところがチラシにあるように午後3時からだった。歌舞伎を観ている途中で気づき、京都まで飛んで行ったが、到着が4時で、前半は終わっていた。でも、幸いなことにハイライトの「壇ノ浦」の語りと演奏は聞くことができた。感激した。以下が演奏会のチラシである。

写真左が「壇ノ浦」の演奏者のギニャールさん。大学の同僚である。スイス出身で、ショパンのワルツ研究でチューリッヒ大学からPh.D.を取得した後日本に琵琶の研究をしに来られ、それ以降日本に住まれることになったという経歴である。1993年から2003年まで同志社女子大音楽学部の教授をされた後、私の在籍する大学に来られた。丁度私の1年後である。研究室も一つおいて隣りだし、彼も私も「日本文化」をテーマにした留学生クラスを教えているというご縁で、彼の日本語の文書を添削したことがあった。とにかくおしゃれで、ドブネズミ色のスーツ姿の男性の同僚の中では際立っていた。

私がかろうじて演奏に間に合った「壇ノ浦」の段ほど『平家』の背景にある思想が顕れているところはない。追われ追われた平家がやってきた壇ノ浦、ここで破れれば滅亡しかないと分かっていた平家の公達たち。むくつけき剛毅な関東武者に比したら、平家のなんとも優雅な、でもあまりにも弱々しい貴公子たち。平家の印である赤旗を掲げた船は次々に沈められ、遂に命運つきたと観念した清盛の息子、知盛は「「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水した。今日の語りにはその部分はなかった。

『平家』はいくつも異本があり、琵琶法師が語りつつ演奏するというその形の必然から、定本のようなものがあるわけではない。明石検校覚一の『覚一本」が一般に流布しているが、他にもいくつものバージョンが存在しているのが『平家』で、互いにかなり違っている。もっとも原型に近いという「延慶本」を読んだことがあるが(ペンシルバニア大での博士論文提出資格をえる試験のため)、「覚一本」とはまるで似て非なるものだった。

ギニャールさんは、知盛の入水、それにつづく徳子と安徳帝の入水、そして宗盛父子の入水と続く下りを淡々と吟じてゆく。一声高く吟じられる波間を漂う主なき舟の描写は、平家の滅亡をヴィジュアルに表現する。徳子、宗盛父子は源氏によって海から引き上げられたのに、安徳帝は海の藻屑になって消えたままであるという語りも、無常観を一層かきたてるものとなっている。

スイス人による琵琶演奏はそれだけで目を惹くけれど、ギニャールさんの演奏はあっさりとしていて、そういう期待を逆に裏切ってしまう。それがいい。紋付、袴姿で吟じている人が外国人とは思えない、そういう雰囲気の中で演奏が進んで行った。感銘を受けた。彼は筑前琵琶で、私が聞き逃した前半部で薩摩琵琶の演奏があった。あの「祇園精舎の鐘の声 /諸行無常の響きあり」の『平家』の冒頭部分が聴けたようである。残念。

以下は演奏が始まる前に弦をチェックするギニャールさん。

演奏会場の様子

背後の屏風は「壇ノ浦」を描いたもの

会場から外に目を転じると

永運院の入り口

黒谷の寺院群の入り口、中はまるで迷路でした