yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「夢に生き:琵琶と能楽の今昔」@京都黒谷永運院5月20日

同僚のギニャールさんが毎年催している「琵琶プラス」の企画の一つで、去年もこの永運院で開催されたのに参加させていただいた。

ギニャールさんは去年の演奏会についてのブログでも紹介した通り、大学では比較音楽史、世界の音楽などの講義を担当しておられるのだけれど、筑前琵琶奏者でもある(こちらが本業かも)。スイス人でスイスの大学でPh.D.を「ショパンのワルツ」で取得後来日。その折、日本の能に魅せられ、また琵琶に出逢ったとのことである。それ以来、大学で教鞭をとりながら琵琶の修行を重ね、海外でも琵琶奏者として名が通るようになって来ている。日本の雑誌にも何回か特集されたことがある。

去年よりも今年の方がずっと意欲的な構成になっていた。去年は薩摩琵琶奏者との、あるいは韓国、中国の音楽家との競演だったのが、今回は仕舞、謡、鼓との合作という構成になっていた。プログラム中では最後の新作、「玄象の物語」がもっとも興味深かった。作曲、編成はギニャールさん自身が行い、仕舞と謡を梅若善久さん、謡を山中雅志さん、鼓を上田敦史さんが演じられた。仕舞がそれに伴うことで謡がより立体感のある、また臨場感のあるものに変っていた。謡そのものにももちろん演劇要素があり、音曲のみでも生き生きと伝わる工夫がされてはいる。それに対して琵琶はその語り物という性質上、音曲よりもその話自体のストーリー性がより重要で、琵琶はそれを補佐する役割をしている。この二つの性格が異なったものを融合させ、またその融合体を視聴者に納得させるのはなかなか難しい。しかし古くを辿ればギリシア悲劇というその成功例もあるのである。演劇と音楽(これはコロスが担っていた)とが絶妙に融合し、劇的効果をあげるのだから。

明日、同僚の哲学の先生と古代ギリシアの吟遊詩人、ホメロスについてのアメリカ人教授の録画講義を聴き、ディスカッションすることになっている。この先生も今日の演奏会に出席されていたので、今日の感想を含めて、演劇、詩とナラティヴとの関係についてつっこんだ話ができそうである。