yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

團菊祭五月大歌舞伎@松竹座 『蘭平物狂』

松緑がなんといってもよかった。

お父様の辰之助を12歳で、お祖父様の松緑をその2年後に亡くしているんですよね。それが歌舞伎界ではどれほどのハンディだったかというのは、想像がつく。さっきWikiで調べたところ、父、祖父亡き後は宗家の菊五郎に薫陶を受けたとのことである。尾上の一門とはいえ、もともと松緑の実父は七代目幸四郎だから高麗屋の出身である。長兄が十一代目市川團十郎(現團十郎の父)、次兄が八代目松本幸四郎(現幸四郎の父)。

複雑かつ重みのある家系の出身である。お祖父様にあたる二代目松緑は、そもそも立ち役の継承者のなかった六代目菊五郎が後継者と目した人である。お父様の辰之助は父松緑が将来を期待した才能のある人だったようである。夭逝しなければ、六代目、そして二代目松緑の実のある後継者として、名を残しただろう。四代目松緑、そういう人たちの思いを一身に背負うのも大変だっただろう。彼自身は歌舞伎とは無縁のバンド活動をしていた時期もあったという。

そしてなによりも、「三之助」の一人だったことである。新之助、丑之助、そして彼、辰之助はかって「平成の三之助」と呼ばれたそうな。三人の中では一番の年長、でも父という庇護者はいない。いろいろ思うところがあったのではないだろうか。

そしてこの蘭平である。みる前はそう期待していなかった(スミマセン)。スカパーで以前に歌舞伎チャンネルを契約していたことがあり、そのときにお父様の辰之助さんの芝居、舞踊もみたが、特別な感銘は受けなかった。舞踊は藤間流家元だけあって、上手いと感心したけど。この四代目松緑の踊りであれ、芝居であれ、みた記憶がない。たぶんみたことはあったのだろうが、記憶からは抜け落ちている。それなのに、蘭平が現れた途端、「これなに」というオーラを感じた。派手な化粧をしているので、すぐには松緑とは分からなかったが、オカシさ全開の天然キャラと同時に何か裏のある陰の暗い要素とを同時に表現するのに成功していた。息子の繁蔵とのやりとりは秀逸だった。繁蔵役の吉太朗君って、ひょっとして彼自身のお子さん?

いちばんすごいと感動したのは、なんといっても蘭平を生け捕る際の立ち梯子を使っての立ち廻りだった。それも何回も、その都度、大部屋の役者さんたちがとんぼ返りをする。蘭平自身も何度も立ち梯子を昇らなくてはならない。歌舞伎にしてはめずらしくテンポの速い動きが要請されるわけで、三味線に合わせてリズミカルに動いていて、迫力満点だった。こういう立ち梯子を使っての立ち廻りは他の演目ではみたことがない。でも大衆演劇ではあるんですよね、これが。

蘭平のリズム感のある所作が松緑さん自身の音楽活動の産物でもあるのなら、ここに歌舞伎の音曲と西洋的音曲との融合の成果がみられるわけである。なによりも、松緑さん自身が楽しんでおられるのが、よく伝わってきた。旧態依然としたところに、新しい血が、新しい工夫が入ってきたのだ。それを可能にしているところに、現菊五郎の懐の深さを思った。以前はあまりファンではなかったが、今回團菊祭で、彼が育て上げた若手がすべて優れた役者になっているのをみて、彼が江戸歌舞伎の核になっている大御所だと改めて認識した。上方歌舞伎の演出法を今まではよしとしてきたけれど、團十郎、菊五郎という江戸歌舞伎の中心が歌舞伎全体の中心を形成しているのだと分かった。