yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)』 in「夏休み文楽特別公演」第三部@国立文楽劇場 7月17日

公演チラシの表はこの段のもので坊太郎と乳母のお辻の人形。

「志渡寺の段」のみの上演。この段までのあらましとこの段の内容は以下の公演チラシ裏に載っている。

配役も以下にアップしておく。

藤太夫、お師匠の住太夫と声質はそれほど似ていなかったのに、今やその渋さと地底から這い上がってくるような力強さは、まさに住太夫。違うのは、もっと「若々しい」こと。計算尽くではないところ。ひとことで言うなら、「老練」でないところ。

憎々しい森口源左衛門の「嘲笑」に、その「若さ」が遺憾無く発揮されていた。コントロールを効かせてはいるものの、どこかに藤太夫自身の「この忌まわしい男はこんなに下品は笑いをやるんですよ!」と強く唸る声が聞こえてきた。「どうだ、このいやらしい男は!」と言う声が聞こえてきた。だから私も思わず感情移入して、源左衛門憎しみ?を募らせてしまった。芝居を見ている時には、どちらかというと客観的距離を保つようにしているのに、今日は興奮して、身を前に乗り出していた。

ここまで観客を舞台にのめり込ませるのは、尋常な語りではない。実に凄まじかった。その分、カタルシスも半端ない。坊太郎とその乳母お辻との嘆きの場面のこれ以上ないほどの「くどさ」が、その前の場の源左衛門による坊太郎とお辻への理不尽な折檻への「保障、埋め合わせ=compensation」として呈示されることで、逆に「the sublime」へと転じる。

これって、先日松竹座で見た歌舞伎の『堀川波の鼓』の真逆パターンなのに気付かされた。愁嘆場が愁嘆場で終わってしまえば、それは「昼メロ」になる。しかし、それが芸の力、その勁さで「メロ」を超えることができれば、それは崇高の次元になる。

「切」を語った呂太夫、三味線の清介もこの最終章の場にふさわしい演者たちだった。改めて、呂太夫の力を認識した。英太夫がなぜ呂太夫を襲名したのだろうと、なぜ呂勢さんが継がなかったのかと、訝しく思っていた時期があったのだけれど、今回妥当な襲名だったのだとわかった。私は聞いてはいないのだけれど、彼は越路太夫の系列の語り手なんですね。高い声調は渋さを増して、「切」を語る貫禄があった。「金比羅大権現」が現れる最終場面、普通ならちょっと白けてしまうのに、それがなかったのは、彼の語りのうまさによるものだったのだろう。

 

<付記>

数年前に断捨離にはまってからは芝居の番附(筋書き)はできるだけ買わないことにしている。特に歌舞伎。二千円前後と高い上に、大した情報が載っていない。それでも、お囃子がたの名前を知りたいときは購入することもある。文楽の番附はかなりの確率で購入する。七百円と安価な上、演劇史的な考察が入っていることが多いから。今回もしかり。

『花上野誉碑』の原話が「田宮坊太郎物」実録であることを、福岡教育大教授の菊池庸介氏が解読されていて、興味深く読んだ。「実録」というのは江戸(近世)の文学ジャンルであり、実際の事件をもとにして、それを物語仕立てにしたもの。現在も週刊誌「なんとか実録」というのがどこか怪しげなジャンルになっているのと同じ類である。ただ浄瑠璃にするにあたっては、題材を採ったものの、かなり改変して新装した虚構を立ち上げた。「田宮坊太郎」に付いてはWikiにも解説が出ている。実録本『金比羅大権現加護物語』からきていること、そこから様々な芸能に発展したことが明記されている。

観劇中にふっと頭をよぎったのが同じく浄瑠璃の『壺阪霊験記』。お里・沢市夫婦の愛を描いて有名な演目である。こちらは盲の按摩沢市の目が観音様の霊験により開くという奇跡を描いている。こちらは元から浄瑠璃として作られたものらしい。『花上野誉碑』の方は乳母の養い子への愛情を、『壺阪霊験記』の方は妻の夫への愛情を描き、その愛情が神によって報われるという筋で、テーマがかなり似ているのが興味深い。