yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

美智子前の「お茶会」のおぞましさ−−小内誠一氏の消されたブログより

この前の記事にWaybackMachineからretrieve した記事一覧をアップしたのだけれど、私が当時最も衝撃を受けた記事は見つけられなかった。当ブログの2019年12月15日の記事にその忌まわしいお茶会の様子をあげている。小内氏の記事はどれも美智子前が人格破綻者であることを如実に例証されているものだったけれど、とくにこれは私にとっては「破壊的」だった。以下。

美智子さまお茶会のお楽しみ

平成の世は、毎週のように週刊誌に雅子さまバッシング(醜聞)が掲載されていた。ところで美智子さまの日課は、その日発売された週刊誌の皇室記事をチェックされることだった。

美智子さまが最も気にされたのはご自身が批判的に書かれているかどうかだ。だが、93年に起きた「美智子さまバッシング」以降、皇后陛下を直接的に批判する記事は鳴りを潜めたため、ご興味は他に移った。そこで新たな楽しみとなったのが「雅子さまバッシング」を面白おかしく楽しまれることだった。

美智子さまは週1くらいの頻度で、プライベートなお茶会を開催されていた。呼ばれるのは美智子さまの気心の知れた友人が中心で、清子さんは頻繁に、紀子さまは月1くらいで参加された。そこで「酒の肴」として毎度のごとく取り上げられたのが、雅子さまへのバッシング(醜聞)だ。たいてい美智子さまが週刊誌のスクラップ帳を持ち出して「あら。また雅子さんこんなこと書かれちゃってるわね~」といった具合だ。

今も鮮烈に残る光景がある。雅子さまが夜中に赤坂御用地を徘徊(週刊誌では“散歩”と表現された)しているという報道があった時のことだ。もちろんこれもお茶会で「酒の肴」にされた。のみならずこの時、ある参加者が、美智子さまの歓心を買おうと、白目で口を大きくあけ手をだらりとしながら徘徊される雅子さまなるお姿を再現され、参加者一同、大笑いしていた

何とも言えないすごいお茶会であった。幸いにもこのお茶会は平成の後半に、より具体的には清子さんが結婚され参加頻度が落ちたこと、小室圭さん問題などが表出し紀子さまとの嫁姑関係に変化が起きたことなどから次第に開かれなくなった。令和の世にはこのようなお茶会が開かれないことを願うばかりである。

これをよまれたみなさま、どうか心を平静に!私もしばらくは怒りで体が震るのを抑えられず、体調を崩してしまった。