yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

虚無の権化、机竜之助を力演した雷蔵 in『大菩薩峠』(大映1960)@神戸国際松竹 1月26日

Wikiからお借りしたスタッフ、キャスト、あらすじは以下。

スタッフ

監督:三隅研次

製作:永田雅一

原作:中里介山

脚色:衣笠貞之助

企画:松山英夫、南里金春

撮影:今井ひろし

 

キャスト

役名

俳優

机竜之助

市川雷蔵

宇津木兵馬

本郷功次郎

お豊/お浜

中村玉緒

お松

山本富士子

近藤勇

菅原謙二

芹沢鴨

根上淳

土方歳三

千葉敏郎

神屋主膳

島田竜三

宇津木文之丞

丹羽又三郎

机弾正

笠智衆

裏宿の七兵衛

見明凡太朗

島田虎之助

島田正吾

中村一心斎

荒木忍

逸見利泰

花布辰男

片柳伴次郎

南部彰三

あらすじ

大菩薩峠にて、浪人・机竜之介は巡礼の老人を意味もなく切り捨て、その場から立ち去った。途方に暮れる老巡礼の孫娘お松を、通りすがりの盗賊裏宿の七兵衛は保護するのだった。

自身が師範を務める道場へ帰った竜之介のもとに、宇津木文之丞の妹を騙る彼の妻・お浜がいた。御岳神社の奉納試合で文之丞に負けてくれるよう頼み込むお浜。しかし竜之介はこれを拒否する。帰路についたお浜を水車番の与八に誘拐させ、竜之介は彼女を手籠めにする。奉納試合、怒りに震える文之丞であったが竜之介の音無しの構えを前に敢え無く事切れる。竜之介はお浜と共に江戸へ去っていった。この惨状を知った文之丞の弟・宇津木兵馬もまた、剣豪・島田虎之助に入門するため江戸へ向かう。

虚無を人格化したかような眠狂四郎よりもさらに虚無感の強い人物、それが『大菩薩峠』主人公の机竜之助である。この映画の前に同じく雷蔵主演の『眠狂四郎勝負』を観たのだけれど、私が原作から得ていたイメージよりも纏っている虚無は薄いように感じた。後作品になる程、原作に近い狂四郎像になっているのかもしれない。ただ、なぜかホッとしてしまった。

しかし雷蔵の机竜之助は、予想をはるかにこえて暗く、重かった。人非人といってもいいほどの非情の権化。老巡礼を意味もなく斬り捨てて立ち去る冒頭から、竜之助がいかに恐ろしい人物かが描き出される。そのあとはこれでもかこれでもかというくらいの悪行が、一見理想的な美剣士から繰り出される。

宇津木との御前試合では、引き分けの判定を無視して宇津木を斬り捨てた。無意味な殺戮は性と結びついている。竜之助は試合の忌避を願いに来た宇津木文之丞の妻女、お浜をてごめにしていた。お浜は竜之助に唯一太刀打ちできる気性の激しい女である。この二人の逃避行と待ち受ける悲劇は、まるで歌舞伎の『四谷怪談』である。日常が似合わない竜之助。竜之助の「非日常性」に自身の片割れをみて彼と一緒になったお浜。二人が平穏な日常を送れるはずもない。やがて破綻、お浜は寝ている竜之助を殺そうとするが、かわされる。鬱蒼とした林に逃げこんだお浜を、竜之助は無残に斬り殺す。ここはこの映画最大のハイライト部。ここで再び性と暴力が結びつく。深層心理の奥深くに分け入ったようなカメラワークが素晴らしい。

美しい外見なのに、ふっとした拍子に残虐性が滲み出る竜之助を雷蔵は凄まじい迫力で演じきった。観ているだけで疲れるのに、こういう男を演じるのは精神的にかなりきつかったと想像できる。

これまた残虐性を心奥に潜ませた美しい女を中村玉緒が好演。21歳だったとは信じられないうまさである。この二人が醸し出す非日常は激しくも残虐、しかし美しい。

この二人の非日常性と際立った対照をなしているのが、お松と宇津木兵馬。お松は祖父の、兵馬は兄の仇である竜之助を討つ共通の目的を持っている。この二人の背景は歌舞伎の筋によくあるもの。既視感はここかしこに。この二人が出てくる場面はほのぼのと安心感がある。竜之助・お浜とは真逆の真っ当な生を営んでいる人物として描かれている。 

兵馬役の本郷功次郎は若く理想に燃える剣士にぴったり。ただ、お松役の山本富士子はなんか場違いというか、顔ばかりが目立ち、演技も平板な感が否めない。逆に安心感があるにはあるんですけれどね。

 

新国劇出身の島田正吾が流石だった。また竜之助の父を演じた笠智衆が良かった。

 

監督は三隅研次。殺陣シーンは剣戟の三隅だけあり、華麗だった。それを捉える今井ひろしのカメラも素晴らしい。昔?の剣戟映画の奥深さを見せつけられた気がした。

三部作になっていて、監督は三隅研次。第二部はDVDで入手した。これでもか、これでもかとさらに残虐なシーンが出てくるだろうから、覚悟してみるつもりである。