yoshiepen’s journal

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「敬宮愛子様が天皇に即位されることこそ、ヤマト文化の伝統に即したもの」 工藤隆著『大嘗祭—−天皇制と日本文化の源流』(中公新書、2017)を読んで

「天皇=男・女系並存」はヤマト文化 であるのに対し、「天皇=男系男子」は唐輸入の外来文化 であることを古代史専門家の立場から立証した好著である。これは古代史研究の立場からの精緻な大嘗祭研究であり、同時にそれを入り口として、女性・女系天皇の正当性を古代王権を支配した女性原理を手がかりに明らかにしている。今までになかった切り口になっている。

女性(女系)天皇はヤマト文化の伝統に沿ったものであり、縄文・弥生以来のアニミズム・シャーマニズム・神話世界性として発現する女性原理に基づくという。そのヤマト文化こそ、日本人のアイデンティティ(日本人の心性)を形作るものであると工藤氏は結論づける。その結論を導き出すのが大嘗祭の歴史研究である。非常に優れた論考だった。

まず氏は、「天皇存在の根拠が縄文・弥生など非常に古い段階の起源にまで遡るものであり、それはやはり天皇が、縄文・弥生時代以来のアニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった特性を、神話・祭祀・儀礼などの形で継承し続けている存在だからである」と言明する。ここには天皇文化、天皇制を日本人のアイデンティティを表す文化装置として捉える姿勢が貫かれている。 それを儀礼化したのが大嘗祭なのであり、その原型は古代にまで遡れるという。

つまりヤマト文化は、縄文・弥生時代以来のアニミズムシャーマニズム神話世界にそのソースを遡れるものであり、それは即ち女性原理の支配を示しているという。それを男系継承絶対化の方向に動かしたのは、律令制度の導入、唐の皇帝制度の模倣という大陸文化の輸入によるものだったのだと、断定しているのだ。

古代史研究の面目躍如であり、縄文・弥生時代の遺跡、遺物の実態を調査、当時の大王制度とそれを支える(大嘗祭の前身に当たる)儀式がいかなるものだったのかの検証がなされている。さらに、天武・持統朝での大嘗祭がどう整備されたのか、さらには律令制度と大嘗祭とはいかに関係づけられたのかの検証が、綿密に行われている。そういう歴史的検証によって、日本人心性の根拠に天皇文化があることを説いているのであり、その天皇文化を紐解く突破口として大嘗祭を位置付けているわけである。さらには、ヤマト古来のものではない「男系天皇」に固執することは、ヤマト像に歪みを生じさせることであると警鐘を鳴らされる。以下、結論の一部を引用させていただく。

日本列島にはもともと男系(父系)と女系(母系)が並存していて、おそらく臨機応変に(つまり柔軟に)両者が使い分けられていたのだが、中国漢族伝統の男系観念が流入てくるとともに、徐々に(六世紀ごろから)大王の系譜は男系(父系)が良いとする観念が優位になり始める。(略)

このように見てくると、天皇の男系継承は、その多くの部分が、漢族の男系(父系)優位観念の影響や唐の皇帝制度の模倣によって形成された可能性が高くなる。もちろん、外国文化を移入して自国のヤマト文化を強化していくこと自体はよいことでもあるが、その出自を忘れて、その外来文化をヤマト文化独自のものだと勘違いするようになると、肝心のヤマト像に歪みが生じる。

より踏み込んだ古代研究がなされている最近では、学者の間でも男系天皇を天皇存在の絶対条件とする考え方は修正されてきているという。「古墳時代前期の古墳の被葬者は男系と女系のどちらもが存在していて、古墳時代後期の五世紀後半になると男系優位が見えるがそれでも女系が残っていた」というのが今の通説になっているとのこと。

さらには現代の天皇の継承のあり方について、正論の提言をされている。

結論として私は、江戸時代までの現実適応性から学んで、二十一世紀の民主主義社会にふさわしい天皇のあり方について、多方面からの知恵を結集させて柔軟に対処すれば、天皇文化という女性原理濃厚なアニミズム系の貴重な文化遺産を未来へと繋げていく道が見えてくるはずだと考えているのである。たとえ外来文化系統のものだとしても天皇位の男系継承は1300年の伝統になっているのだから、それはそれとして尊重したうえで、女性天皇そして女系天皇を適宜組み合わせて天皇文化としての天皇制は消滅しないようにくふうしていく必要がある。

ここで、工藤氏が強く非難しておられるのが、当時官房長官だった安倍晋三が「女性天皇・女系天皇許容」の提言をする一歩手間まで行っていた皇室典範改正会議の提言を阻んだという事実である(274-276頁)。この箇所を読むと、今まで以上に怒りが湧いてくる。安倍は今回の失態で総理大臣の地位を降りることになるだろうけれど、天罰が下っているとしか思えない。スキャンダルまみれで「史上最低の総理」。それらのスキャンダル以上に、半島出身の秋篠宮キコ、前皇后と組んでの敬宮愛子さまからの皇位強奪の大反逆罪は許せない

工藤氏の立場は、女性差別批判からのものではなく、また男系にこだわると皇統が途絶えるという消極的視点からのものでもない。天皇文化はアニミズム・シャーマニズムの女性原理に軸を置くもので、それが日本人の心性の根拠になっていることを立証し、その正当性を主張しているのだ。女性・女系天皇を積極的に支持する立場である。

工藤隆氏は東京大学経済学部卒、その後早稲田大学大学院博士課程で博士号をとられ、大東文化大学で教授。現同大学名誉教授。専門は日本古代史。以下にこの著書の章一覧を挙げておく。

はじめに

第一章 大嘗祭をめぐる基礎知識

第二章 大宝律令に見る天皇祭祀の基本構造

第三章 大嘗祭でなにが行われるのか

第四章 神話の中のニイナメ

第五章 男王たちとニイナメ

第六章 卑弥呼の巫政の体系から神祇令祭祀へ

第七章 ニイナメの語源を探る

第八章 稲収穫儀礼から天皇位継承儀礼へ

終章  日本的心性の深層

付章  大嘗祭と現代

おわりに

今回のコロナ禍は色々な社会の歪みをあばきだしたけれど、日本人とは、日本文化とは何かということを、立ち止まって顧みさせたのも事実。日本人のアイデンティティの基礎になっているのが「天皇」文化であることを、改めて考える機会を与えてくれたように思う。

「男系男子」派がお題目のように唱える「伝統」。その伝統を古代にまで遡れば、ヤマト王権、ヤマト文化に行き着く。そのヤマトは、天武天皇が唐から律令制を「輸入」するまで「女性原理」により強く拠っていたのは、「卑弥呼、アマテラス、サカツコ」等の女性たちが示している。当時、大王(天皇)は母の系譜でたどる母系も用いられていたという。

 

敬宮愛子さまは学習院大学で日本文学を専攻されるという。日本の天皇文化は和歌文化と密接に結びついてきている。それを逆説的に示したのが深沢七郎の『風流夢譚』でもあった(当ブログ記事にしている)。敬宮愛子さまはそれをおそらく意識しておられると思う。文化装置なんていうことを考えたこともないアホの秋家の面々とは器も覚悟も違っておられる。彼女こそが正統の(正当な)皇統であり、次の天皇陛下である。邪な意図はいずれ排除され、自滅するだろう。