yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

折口信夫の呼びかけ「神道の友人よ」in 『折口信夫 天皇論集』(安藤礼二編、講談社文芸文庫、2011)

これが載ったのが昭和22年1月6日発行の『神社新報』だった。敗戦直後、改政治と神道との関係を見直さざるをえない境地に立った折口の苦渋に満ちた弁である。

極めて直截的で、だからこそ勢いがある。ひたむきな想いが直に伝わってくる。

神道は宗教ではあるものの、仏教、キリスト教、イスラム教といった宗教とは違っている。それは体系化してこず、一種の「神話」として存在してきた。そこに柱が打ち込まれたのは明治になってから。体系化する行動が政治行動となり、することで、戦争への道が拓けたと折口は考えていたのではないか。

折口は言う。「神道の根底も枝葉も倫理である」と。「倫理」として存在するのは十分でないとして、「日本社会倫理化運動」なる政治行動を起こし、「日本民族の綜合運動」を巻き起こそうとしたのだと、推察している。

明治まで長く続いてきた「祭政一致」は、古代神道の形だったと、折口は言う。しかし、祭政一致を目的とした神道はなかったと。つまり、それを目的とすることで、戦争に突入するとあやまりをおかしてしまったと。「祭政一致」、現実の政治とはなんら関係なく続いてきていた。ただそれは歴史であっても現実生活を意味するものではなかった。だから神道は政治行動の圏外にあった。

ところが神道を「文化倫理運動」に見立て、それを口実にした政治運動が前面に出て来るようになってしまった。折口は「近代の神道家は—殊に神道の宗教儀礼伝承者たる私どもは、簡単に管理に列すべきものではなかったのだ」と厳しい言葉で近代神道の輩を批難する。「宗教家は政治家ではない。まして政治行動の力役者なる官吏となってよいわけはなかった」と言い捨てる。

自身もその渦中にいた一員として、忸怩たる想いだったのだろう。そのようないっぱしの政治家もどきの行動をとったことは「恥」だったと言い切る。「神道をかかげることは、神をかかげることである。だが、政治行動によって、神の存在を知らせようとした宗教の動きが、一度だって成功した先例のないことを思うがよい」と。

では神道とは一体何なのか。「神道は宗教以外の何物ではない。だが成立した宗教ではない。(略)まだ完全に成立していないだけの宗教である」と折口は一つの「答え」を出す。歴史的にみて、神道を体系化し、教義でもって規定することはされてこなかった。「倫理教」のようになる、つまりドグマにがんじがらめになってしまうのは神道のあり方ではないし、歴史的にもそうではなかったと折口は見ている。いわゆる西洋的な弁証法で証明する(できる)ものではない。それが私たちの先祖伝来の神道だということだろう。

ただ、折口はここ逆説的に聖典、経典となるものの必要性を謳って見せる。教義というべきものがないのを、一体宗教と呼べるのかという疑義を呈している。

神道を奉ずるということが教義を持たない無神論者と同列になってしまうという、ある種の罪悪感にとらわれてきたことを告白してもいる。近代になって教義を意識せざるを得なくなった宗教としての神道。この矛盾を孕みつつ神道は存在している。 

この問いは読者に丸投げされている。ただ、冒頭の「神道の根底も枝葉も倫理である」という断言と、そして神道が政治化することへの異議とを合わせると、折口の思索がどちらの方向を向いていたかは明らかだろう。神道の緩やかさ、神道の流動性、そういうどちらかというと神話的な要素を彼は神道のあり方として考えていたのではないだろうか。日本の神と芸能との密接な関係、それが祭り事として現れる「祭政一致」なる古代神道は、いわゆる近現代の政治とは違ったものだろう。

昭和天皇が戦後目指されたのは、こういうかたちでの「神道の主」ではなかったのかと、密かに想像している。一言付け加えるなら、近代になって登場した神社本庁なるものが、政治そのものになってしまっている事実を、折口はどう批判するのだろうか。「一顧だに値しない」とうち捨てるでしょうね。