yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ロンドンもあと1週間

資料収集はなんとか目処がつきかけているので、もう帰国でもいいのだけれど。整理の期間が与えられたと考えて、目一杯利用するつもりにしています。

能に関しては、ここにあるものはかなり集めることができた。英語で書かれたもので本当に参考になるのは5、6冊というところ。そんなに多くない。日本語のものはもちろんはるかに多くはあるのだけれど、私の今の関心事と近いものは限られてくるので、そこに集中している。日本に帰国してからは、図書館(主として中之島になりそう)でそれらの文献を借り出してじっくりと読まなくてはならない。それにしてもここでアメリカの大学院で学んだことが役に立つとは。中世史、宗教学なんて興味がなかったのに、「コースワークで必須」ということで取らされた。中世史のキャピー(Cameron Hurst)先生、宗教学のラ=フラワー(William LaFleur先生) のお名前に再々遭遇した。出来の悪い学生で、迷惑をかけたことも思い出した。お二人とも数年前、70代初めで鬼籍に入られた。

歌舞伎関連本、とくに中芝居、小芝居と関係した文献を集めている、こちらは膨大な情報が一度に入ってきて、どう整理したらいいのか、かなりアップアップしている。近代の歌舞伎の資料収集に絞っているのだけれど、それでもやっぱり多い。ただ、小芝居に関するものは最近になってその実態に関する著作が若い研究者によって明らかにされつつあるようで、服部幸雄先生もきっとあの世で喜んでおられると思う。ただこれも端緒についたばかり。文献じたいが極めて少なく、内容にまで突っ込んだ議論ができない状態。本当に少ない情報をどう理論化するかが課題。

それにしても、歌舞伎の幕末から近代にかけて、新しい演目が次々と書かれ、演じられてきたのを知って、改めて「歌舞伎」の生命力に瞠目している。もう、次から次へと書かれている。それも決まった型になるというのではなく、いわば実験的に舞台化し、再度手直しして舞台に乗せるという作業をやり続けている。もちろん一方ではいわゆる古典も演じ続けながら。ここ数年の新しい潮流は「新しい」ものではなく、常に時代への挑戦をし続ける歌舞伎の先祖還りなのかもしれない。

 この図書館(SOAS Library)のいいところはここ一箇所でほとんどの文献に当たることができること。そういえば、日本人研究者と思しき方がここ1週間ばかり詰めて来館されている。専門が近そう。というのも同じセクションの書架を当たっておられるから。

それでは記念?にSOASの外観をアップしておきます。

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