yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

味方玄師の仕舞「鍾馗」<きょうの能楽師>仕舞編#4

仕舞リレーの四番目にやっと登場された味方玄師。YouTubeサイトをリンクしておく。

www.youtube.com

ここに付いた味方玄師の曲紹介が以下。

「鍾馗」とは人の名前。中国・唐の時代、病に伏した玄宗皇帝の夢に現れ病鬼を退治したことから、神として祀られました。日本でも息災、疫病除けを祈願して端午の節句に鍾馗の絵や人形を飾ります。悪霊・疫病退散の願いを込めて舞います。

仕舞は切能『鍾馗』の最後の地謡部の舞。詞章を「郡山宝生会」のサイトからお借りする。

御階の下までも。/\。剣をひそめて忍び/\に。
求むれば案の如く。鬼神は通力失せ。現はれ出づれば忽ちに。
づだ/\に切り放して。まのあたりなるその勢唯此剣の威光となつて。
天に輝き地に遍く。治まる国土となる事。治まる国土となる事も。
げに有難き誓ひかな。/\。

この部分は鍾馗の霊が禁裏をくまなく探して悪鬼を追い、国土安穏を祈って留拍子を踏み、ついに終曲となる」サマを描いているとのこと。

味方玄師の舞はとにかく端正。

剣をひそめて忍び/\に」のところのハコビとひらきの一連の所作、端正であると同時に、力強い。惚れ惚れする形。そこから押すと同時に引く所作。それは鍾馗の霊のパワーを表している。くるりと回った後、手の扇を振り上げて、足をふみ鳴らし「ズタズタに」悪鬼を斬りさばく動きになる。

観客(不在ですが)に向かってグッと舞台前面に押し出してくる動き。それが「その勢唯此剣の威光となつて」の大きな所作に繋がる。「天に輝き地に遍く」で、舞台に膝を付き、また立ち上がって、舞台を包み込む感じ。それが国土を治るサマになり、舞い納る次第。ホッとする。

ワクワク感が収まらない。そのワクワク感で鍾馗の霊に合体し、悪鬼を退治できればいいのだけれど。舞と共に声もすばらしい。非常に落ち着くというか、信頼できるというか、安心感がある。さすが味方玄師。 

おそらく味方玄師のお宅の能舞台。正統派の舞台造りに唸ってしまう。すごいです。

来月も舞台が見られないのは、苦痛ですね。悪鬼が早く去ってくれればいいのですが。