金剛流と観世流との合同研究発表会、最後を飾ったのが片山九郎右衛門師と味方玄師共演の袴能『猩々乱』。来月25日の「京都観世能」でも二人シテで舞われる。大鼓、笛は同じ演者が演奏されるので、本番リハーサルを兼ねてのもの?
シテが一人のものは味方玄師と山本章弘師の舞台で見ているし、DVDでは観世寿夫師のものを見ている。どの舞台もこちらの身体ごと持ってゆかれそうなほど乗ってしまうシテの「乱れ舞」だった。
カーニバル的な祝祭性を強く感じさせる演目で、その意味は幽玄を謳う能の雰囲気は皆無である。もちろん他にも祝賀的要素もつ能はあるけれども、ここまで弾けてものはないのでは?Wikiの解説は以下である。
乱は「猩々」と「鷺」にしかない特殊な舞で、中之舞の中央部分に乱特有の囃子と舞を挿入するかたちになっている。水上をすべるように動く猩々の様を見せるために足拍子を踏まず、ヌキ足、乱レ足、流レ足といった特殊な足使いをし、さらに上半身を深く沈めたり、頭を振るしぐさが加わる。能において爪先立ちして舞を舞うのは、乱の流レ足くらいにしか見られない特殊な例である。
ウキウキ感が舞台に充満しているものの、シテ方には拷問に近いほどの緊張を強いるのではないだろうか。上の解説にあるように、爪先立っての「ヌキ足、乱レ足、流レ足といった特殊な足使い」をこなしつつ、上半身はキチっと能の身体を保っている。首を左右にフル所作もこの体勢でのもの。とてもおかしく、可愛いらしくて、ホッとこちらの気分も緩むのだけれど、それも束の間。さらに程度の高い足使いが続く。その合間に「上半身を深く沈める」動作が挟まれる。なんでも猩々が「水上で戯れ遊ぶ態」を表しているのだとか。それも酒に酔っての酔狂。この緊張と弛緩との組み合わせが絶妙。
いくつかの「矛盾」が舞うシテの身体に課されていて、それは過酷な責め苦に近いものだと想像できる。その代わり(reward)として、観客からは怒涛のごとくの賞賛の嵐が沸き起こるはず。まあ、能の舞台なので、それは観客の心の中でのことではあるけれど。あの『道成寺』での「乱拍子」と並ぶ緊迫感の足使いであり、同じくらいの「ワクワク」を観客に呼び起こすだろう。
他の「舞踊」と決定的に違っているのは、演者の身体から醸し出される極度の「緊迫」に射抜かれるその衝撃の強さである。
舞台では味方玄師の猩々が最初に登場し、舞台を「清めた」あとで、九郎右衛門師の猩々が橋掛りから登場。この舞台/橋掛かりの構図が後半でも繰り返される。二人?の猩々が舞台に揃ってからは、相似形の動きで連れ舞いとなる。肩を組んだりするところなんて、実に微笑ましい。ここまできちんと合わせることのできるのも、やはりお二人の中睦まじさの現れだろう。
でもよく見るとちょっとずつ違っていて、全くの相似形ではない。どちらかというと玄師の方が凛として男性的である。それに対して九郎右衛門師ははんなりと女性的で、艶っぽい。お二人の感性の違い(当然ですが)が垣間見えた?なんて勝手に感じていた。
この『猩々乱』、10月の京都観世能では華麗な衣裳をつけてのものになる。真っ赤な頭に面、衣裳も赤い。酔っ払った二人の猩々が乱舞する舞台。それは、斬新さでは衝撃的な舞台になるはず。楽しみ!