楽しみにしていた浅見真州師の「花筐」。予想通りというか、それ以上に見応えがあった。能『花筐』のクルイ部の仕舞。以下が演者。
シテ 浅見真州
地謡 浅見慈一 上野雄介 小島英明 小早川泰輝
片山九郎右衛門師の仕舞でも一昨年に拝見している。こちらも素晴らしかった。記事にしている。
この記事に「クルイ」の詞章をアップしているけれど、再度アップしておく。以下。
地謡
恐ろしや。恐ろしや。世は末世に及ぶといえど。日月は地に落ちず。まだ散りもせぬ花筺を。荒けなやあらかねの。土に落としたまわば。天の咎めもたちまちに。罰あたりたまいて。わがごとくなる狂気して。ともの物狂いと。いわれさせたもうな.人にいわれさせ.たもうな。かように申せば。かように申せば。ただ現なき花筺の。託言とやおぼすらん。この君いまだその頃は。皇子のおん身なれば。朝ごとのおん勤めに.花を手向け礼拝し。南無や天照皇太神宮。天長地久と。唱えさせたまいつつ。み手を合わさせたまいし。おん面影は身に添いて。忘れ形見までも.お懐かしや恋しや。
シテ陸奥の安積の沼の花がつみ。
地謡
かつ見し人を恋草の。忍捩摺りたれ故に.乱れ心は君がため。ここに来てだに隔てある.月の都は名のみして。袖にも移されず。また手にも取られず。ただ徒らに水の月を。望む猿のごとくにて。叫び伏して泣きいたり.叫び伏して.泣きいたり。 *1
「クルイ」といえども、激しい舞ではない。舞台を四方八方舞うのだけれど、動きは緩やか。決め、決めの場で立ち止まり、佇んだ様がすっきりと美しい。ややあって動き出しても、それはあくまでも静か。「南無や天照皇太神宮」と、両手の先をあわせる所作には、優れて敬虔な感じが漂う。そのあと、柱に向かってくる動きも、あくまでも穏やかなのに、凛とした気迫が漂う。
舞台中央に戻って、それから閉じた扇を持った手、腕の回しが綺麗。
「花がつみ」のシテの謡に伴った扇を広げての所作。次の扇を持ち横に広げた右手と、胸元近くに引き寄せられた軽く握った左手のバランスの絶妙に唸らされる。すべてが決まっている。「決めたぞ!」という気負いのないシテの品位の高さ。
浅見真州師の舞をひとことで表現するなら、この「品位の高さ」だろう。そして切れのよさ。
ずっと見ていたいほどだった。