yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

爽やかで初々しかっただった大江広祐師シテの『芦刈』 in「大江定期能」5月6日

当日の朝、宅急便が午前中に届く予定だったので、間に合うように家を出ることができなかった。到着したのは開始40分後。以前に舞囃子で何回か見ていた「笠之段」部は見逃してしまった。それでも、見応えが十分すぎるくらいあった。特にシテを演じられた大江広祐師の声、舞共に、今までに見た彼のパフォーマンスの中でも一番。しかも、パワーに満ちていた。背が高く、お若いので、見栄えがする。この演目は男狂物。しかも直面で演じられるので、演者の外見が極めて大事。広祐師は今風(?)の髪型が素敵で、そこに芸が伴っているので、ワクワク感が募る。後半、烏帽子をつけての正装が見事に決まっていた。声も所作も、そして何よりも舞が素晴らしかった。

 

『芦刈』の概要を、銕仙会の『能楽事典』より引用させていただく。なお、演者は当日のもの。

作者 世阿弥
素材 『大和物語』『拾遺和歌集』に見える芦刈説話
場所 摂津国難波
季節 春
種類 四番目物、男物狂物

 

<登場人物>

シテ 芦売り・日下左衛門  大江広祐

ツレ 左衛門の妻      宮本茂樹

ワキ 妻の随行者      小林努

アイ 里の男        小笠原弘晃        

 

<あらすじ>

女が都から里へ戻ってくると、かつての夫、日下左衛門は零落して行方不明でした。夫を探そうと決めた女の前に、芦を売る男が現れます。

 

ここからは、「男舞」を組み入れいる最後の箇所の詞章をアップしておく。なおこれは宝生流のものをネットからお借りした。

ワキ   かかるめでたき御事こそ候はね。やがて都へ御供あろうるにて候。
      まづまづ烏帽子直垂を召され候へ
地    それ高き山深き海。妹背恋路の跡ながら。殊に難波の海山の。
      所からなる情けとかや
シテ   あるは男山の昔を思い出でて
地    女郎花も一時をくねるといへども。いひ慰むる言の葉の。
      露もたわわに秋萩の。もとの契りの消えかへりつれなかりける命かな
シテ   さればかほどに衰えて
地    身をはづかしの森なれども。言葉の花こそたよりなれ
地クセ   難波津に。咲くやこの花冬籠もり。今は春べと咲くや木の花と栄え給ひける。
      仁徳天皇と。聞えさせ給いしは難波の御子の御事。
      又浅香山の言の葉は。采女の盃取りあへぬ。恨みをのべし故とかや。
      この二歌は今までの。歌の父母なる故に。世々に普き花色の。
      言の葉草の種とりて。我等如きの手習ふ初めなるべし。
      然れば目に見えぬ鬼神をも和らげ。武士の心慰むる。
      夫婦の情け知ることも今身の上に知られたり
シテ   津の国の難波の春は夢なれや
地    蘆の枯葉に風渡る。波の立ち居の暇とても浅かるべしやわだづみの。
      濱の真砂はよみつくしつくすとも。此の道は尽きせめや。
      唯もてあそべ名にし負う。難波の恨み打ち忘れて。
      ありし契りに帰り逢う。縁こそ嬉しかりけれ
シテ   今は恨みも波の上
地    立ち舞う袖のかざしかな
ワキ   如何に左右衛門殿。めでたき折りなれば一指し御舞候へ
地    立ち舞う袖の。かざしかな                    

男舞)
地キリ   浮寝忘るる難波江の。浮寝忘るる難波江の。
       蘆の若葉を越ゆる白波の 月も残り 花も盛りに津の国の。
       こやの住居の冬籠もり 今は春べと都の空に 伴い行くや大伴の。
       御津の浦和のみつつを契りに 帰る事こそ 嬉しけれ*1

 

宝生流の詞章は微妙に観世のそれとは違っているのだろうけど、何卒ご容赦ください。

縦横に舞台を舞われるのだけれど、それが突然やってきた外部者のそれではなく、きちんと理由がある人だとわかる仕組み。つまるところ、部外者とは他のコミュニティからはじき出された者。彼らの「痛み」が少しは理解できたように思えた。 

広祐師の舞はキメ、キメの所作が美しい。特にくるくるとその場で回る姿に見惚れる。軸が動かないので安定している。だから見ている側も安心して心を舞台に委ねることができる。と同時にシテの舞姿に自身を同一化できる。穏やかな舞でいて、決してそうではないのだろう。キメが決まらないと、むやみやたらと舞台を回っているだけになる。広祐師のシテは、とても意識的にキメポースをとっておられた。でもどこかに自然体というか、そのキメをはみ出る何かが感じてしまった。それが初々しさからくるのか、それともある種の確信犯的なものなのかは、見巧者でない私には判断がつかなかった。 

「男舞」と呼ばれる「浮寝忘るる難波江の 浮寝忘るる難波江の」で始まる場がまさにその集約的な物。扇を駆使し、緩急の所作を自在に操る様が、なんとも男前。見惚れれつつ、新しいものが生まれてきているような、そんな予感も感じていた。