yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門さんの仕舞「花筐(はながたみ)狂」in 「テアトル・ノウ」@宝生能楽堂7月22日

味方玄さん主催の「テアトル・ノウ」東京公演、能が二本と狂言が一本、そして仕舞が三本だった。味方玄さんがシテの能、『巴』が素晴らしかった。また同じくらい、片山九郎右衛門さんの仕舞、「花筐」の美しさに衝撃をうけた。

「狂」と付いているが、それは能『花筐』の中の「クルイ」部を取り出しての仕舞だから。「能.com」によると狂女ものは「別離−狂い−旅−狂いの舞−再会−ハッピーエンド」という構成を採るという。確かに今まで見てきたのはそうだった。『花筐』も然り。世継ぎのいなかった武烈天皇に、次の天皇として召しされることになった皇子(継体天皇)、彼が越前国味真野に置き去りにせざるを得なかった照日の前との別離と再会を描いている。

照日の前の手元に残ったのは皇子が人に託して彼女に届けた花籠と手紙のみ。照日の前は悲しみのあまり狂ってしまう。いよいよ継体天皇として即位し大和国玉穂の都に遷都した皇子が紅葉見物に出かけた先で、狂女になって舞い狂う女を見出す。彼女は花籠を持っていたのだが、それを天皇の重臣が叩き落とす。そこからがこの仕舞部分。以下。

(クルイ)
地謡「恐ろしや。恐ろしや。世は末世に及ぶといえど。日月は地に落ちず。まだ散りもせぬ花筺を。荒けなやあらかねの。土に落としたまわば。天の咎めもたちまちに。罰あたりたまいて。わがごとくなる狂気して。ともの物狂いと。いわれさせたもうな.人にいわれさせ.たもうな。かように申せば。かように申せば。ただ現なき花筺の。託言とやおぼすらん。この君いまだその頃は。皇子のおん身なれば。朝ごとのおん勤めに.花を手向け礼拝し。南無や天照皇太神宮。天長地久と。唱えさせたまいつつ。み手を合わさせたまいし。おん面影は身に添いて。忘れ形見までも.お懐かしや恋しや。
シテ「陸奥の安積の沼の花がつみ。
地謡「かつ見し人を恋草の。忍捩摺りたれ故に.乱れ心は君がため。ここに来てだに隔てある.月の都は名のみして。袖にも移されず。また手にも取られず。ただ徒らに水の月を。望む猿のごとくにて。叫び伏して泣きいたり.叫び伏して.泣きいたり。

「狂」では謡が主としてシテの狂おしい心の裡を謡う。「狂イ地」というらしい。激しく緩急をつける。それに合わせてシテ(舞い手)が舞う。仕舞なので当然のことながら面はつけていない。九郎右衛門さんが扇をかざしながら呟く、「陸奥の安積の沼の花がつみ」の箇所では、目の前に沼の花がつみの群がざっと拓けているのが見えるような気がした。仕舞で目前に景色が見えたのは初めてだったので、驚いた。感動した。直面なのに、九郎右衛門さんのお顔がうら若い女性に見えた。それも深い悲しみに沈んでいる女性。還らない昔を偲び嘆きにむせんでいる女性。

いつか彼の『花筐』を見てみたい。