堺能楽会館来歴
開演前に能楽堂のオーナーである米田氏より、堺能楽会館の来歴の解説があった。当時、米田氏のご兄弟、五人が観世流を習っておられたため、ご母堂の希望で、ビルの中庭に能楽堂を造られたのだとか。本格的な能楽堂である。ギリギリに着いたら、満員だった。脇端、前から三列目の補助椅子だったけれど、この位置から見るのは普段はないので、新鮮だった。
三人の人間国宝の出演
米田氏が「今日は三人の人間国宝の出演です」とおっしゃった通り、大槻文蔵、大倉源次郎、三島元太郎という三人の人間国宝の競演する舞台で、とても贅沢な時間を過ごせた。
大槻文蔵師はいつ拝見しても舞も謡共に安定しておられる。私が好きなのは、文蔵師のセリフ回し。『羽衣』でシテが「なうその衣はこなたのにて候」と白龍に声をかけるところの、「なう(ノー)」の箇所が特に好き。大倉源次郎師は「追っかけ」をしたいほど好きな方。師の打つ小鼓の音は凛と強靭な響の中に、なんともいえない柔らかさがある。品がある。三島元太郎師の太鼓はあくまでも抑えた中に、時々どきっとする「はみ出し」がある。それがなんともいえない魅力である。
演者と解説
演者一覧、および「銕仙会能楽事典」からお借りした演目概要をアップしておく。
シテ(天人) 大槻文藏
ワキ(漁夫白龍) 福王知登ワキツレ(漁夫) 喜多雅人 広谷和夫
笛 斉藤敦
小鼓 大倉源次郎
大鼓 山本哲也太鼓 三島元太郎
後見 赤松禎友 長山禮三郎
地謡 大槻裕一 長山耕三 竹富康之
山本正人 斎藤信隆 山本博通
春のある日、漁師・白龍(ワキ)は三保浦で天人の羽衣を見つける。そこへ現れた持ち主の天女(シテ)は返してくれと言うが、白龍は衣を惜しみ、返すことを渋る。しかし天界へ帰ることの叶わぬ身を嘆く天女の姿に、白龍は“天人の舞楽”を舞うことを条件に衣を返し、天女は衣を身にまとって舞いはじめる。富士山を背に、緑美しい春の三保浦で舞を舞っていた天女であったが、やがて彼女は数々の宝を人間界にもたらすと、天界へ帰っていったのだった。
たおやかな天女
先日湊川神社で見た『羽衣』はシテが杖をついておられて、ずっとヒヤヒヤしながら見ていたけれど、文蔵師の天女は安心して見ていられた。細身でたおやかな身体つきは、天女そのもの。舞も美しい。ただ見所が脇の端っこだったので、舞台中央で舞われるとき、多少見づらかったのが難点だったかもしれない。
「東遊びの数々に」
最後の「和合之舞」での地謡の「東遊の数々に」で始まる謡は、いつ聞いてもワクワクする。「あーずーまー」という風に「オン」が伸びるところが、いかにも天女の浮き立つ心を表現しているよう。以下がその詞章。立命館大学能楽部作成のものをお借りする。
東遊の数々に。その名も月の色人は。三五夜中の空に又。満月真如の影となり。御願円満国土成就。七宝充満の宝を降らし。国土にこれを。ほどこし給ふさるほどに。時移つて。天の羽衣。浦風にたなびきたなびく。三保の松原、浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて。天つ御空の。霞にまぎれて。失せにけり。
天女は美しい羽衣をたなびかせながら、霞の中大空に消えて行った。「満月真如の影」というのが、月のような光を放つ天女を表現して妙である。「真如の月」というのは辞書によると、「真如によって煩悩 (ぼんのう) の迷いがはれることを、明月が闇 (やみ) を照らすのにたとえていう語」とのこと。
白龍の喪失感
白龍が目に映ったのは、美しい天女の姿であると同時に、その残影でもある。もちろんそれにより「七宝充満」の恩恵を被ると納得しつつも、ある種の喪失感を味わっているのかもしれない。その寂しさを、舞終わったシテを見る私たち観客も、共有しているような気がした。