乞丐人として放浪する弱法師
親に捨てられた悲しみのあまり盲目になり、乞丐人として放浪している弱法師。社会の最下層に堕ちたにもかかわらず、品性は高いまま。否、堕ちたが故に、逆にもっとも高い品格を具現化している。そんな弱法師が、味方玄師の姿を借りてそこに現れ出た。その瞬間に立ち会うことができて、幸せだった。
演者一覧と概要
以下に演者一覧、そして例によって「銕仙会」の能楽事典からお借りした概要を載せておく。
演者
シテ 弱法師(俊徳丸)味方玄
ワキ 高安通俊 小林努
通俊の下人 茂山逸平
笛 杉市和小鼓 曽和鼓堂
大鼓 河村総一郎
後見 橋下雅夫 片山伸吾
地謡 浦田親良 樹下千慧 大江広祐 浦部幸裕
河村陽道 古橋正邦 武田邦弘 河村博重
概要
河内国の住人・高安通俊(ワキ)は、かつてわが子を追い出してしまった悔恨の念から、作善として四天王寺の境内で乞食たちに施しをしていた。そこへやって来た盲人“弱法師”(シテ)。その風流心ある様子を見ていた通俊は、彼こそわが子のなれの果てだと気づく。やがて日没の時刻。春の彼岸にあたる今日、寺の西門・石の鳥居には多くの人々が集まり、沈みゆく夕日を見て西方浄土に思いを馳せる“日想観”をおこなっていた。弱法師もまたその座に連なると、夕陽に照らし出された難波浦の致景を心に思い描き、興に乗じて舞い戯れはじめる。しかし彼は通行人と衝突して転倒してしまい、盲目の身という現実に打ちのめされてしまうのだった。やがて夜になり、父だと名乗り出る通俊。はじめは恥じ入る弱法師だったが、通俊はそんな息子の手を引き、わが家へと連れて帰るのであった。
盲目の弱法師を演じる味方玄師の品格
弱法師の玄師、揚幕から登場。橋掛りを少し進んで佇む。その出端からして、気品が匂い立っていた。なぜこんな姿になったのか、不条理な境涯への怒り、恨みが一切捨象され、残っているのは仏への帰依心。その純真さが、玄師の姿から立ち上ってきていた。見ている側に憐れみを感じさせるのではなく、尊敬の念に彩られた同情心を引き起こす姿。俊徳丸の心のうちをこれほどまでに的確に示す登場はなかっただろう。
足弱になっているものの、心の眼は開いている。だから梅の香りを愛でることができる。「今は春辺もなかばぞかし。梅花を折つて頭に挿しはさまざれども。二月の雪は衣に落つ。あら面白の花の匂やな」と。この「梅花を折って頭にさす」も「二月の雪衣に落つ」も能『高砂』にあるもっとも美しい詞章の一節。これは世阿弥の手による加筆か、はたまた元雅のものか。静かで美しい。そして光景がまざまざと見える気がする。
世俗を超越した弱法師の無私の姿
弱法師はひたすら仏を拝む。「にげに日想観の時節なるべし。盲目なればそなたとばかり。心あてなる日に向ひて。東門を拝み南無阿弥陀仏」と。その健気さ、無私の有様が見る側の心を激しく撃つ。ここのところ「銕仙会」の解説をお借りする。
固く閉ざされた瞼の裏に広がる、夕陽に輝く浦の光景。一点の曇りもなき夕映えの空、海のむこうに見える淡路島や須磨・明石、この浦を囲む四方の景色。そんな致景の数々が、彼の心には鮮明に映し出されていた。
「おお、見える、見えるぞ…」 この喜びに、彼の足は自ずと浮かれ出す。四方を眺めてまわる弱法師。しかしその時、彼は道ゆく人と衝突し、転倒してしまう。やはり目は見えていなかった――。その現実に、弱法師は自らの姿を恥じるのだった。
「西方浄土を心に念ずる“日想観”」を想い描き、気持ちが高揚、それに連れて足が自ずと舞っている。でも盲目の身、つまずき転んでしまう。悲しい。ひたすら悲しい。
でもその姿は惨めではなく、崇高でさえある。味方玄師の倒れるさま、杖をとって立ち上がるさま、いずれもひたすら美しかった。弱法師の崇高さを表していた。惨めさがここまで「美」として表象されるのだと、ただ感嘆した。
父高安の世俗 vs. 弱法師の聖性の対比
高安通俊がそこで名乗りを挙げて、自らが父だと弱法師ならぬ俊徳丸に告げる。しかし、その俗世界での肉親の意味を、俊徳丸の崇高が凌駕してしまっていた。通俊の安っぽさというかちっぽけさが浮き上がってしまっていた。もちろんハッピーエンドではあり、それでホッとさせられるのだけれど、こんな親で果たして俊徳丸は幸せと言えるのだろうか。そんな思いも持たされてしまう。俗を超えた聖の世界を、弱法師は見せてしまうから。
今日、開演の10分前の10時50分に会館に着いたら、今までにない長蛇の列。入り口で二階席しかないと告げられた。二階席もほぼ満員で、後に空きは無しに。ロビーも人でごった返していた。やはり味方玄師の『弱法師』がトップの出し物だったからだろう。でも見ることができて、本当によかった。以下に公演チラシの表裏をアップしておく。