「狂乱」というタイトルは劇団スケジュールで分かっていたのだけれど、それが「お夏狂乱」からきているとは!芝居が始まって「お夏」、「清十郎」の名が出てきて、初めて気づいた。
「お夏精十郎」の種になっているのは、姫路で実際に起きた事件。それが歌祭文で広がり、やがて井原西鶴、近松門左衛門という二人の江戸文学の巨匠が浮世草子、人形浄瑠璃にしたことで、一躍有名になった。西鶴のものは『好色五人女』に収められている。アメリカの大学院にいたとき、「江戸文学」コースのペーパーで、「お夏清十郎」の歌祭文について論じたことがあった。歌祭文どころか、歌舞伎にも、舞踊にも、映画にも、舞台にも、さらにはロック作品にもなっているとは!驚いたけれど、題材は確かにいじり甲斐がありますよね。
さすが芝居の劇団荒城。この題材を一捻りしていた。あらすじをSNSにあげるのはご法度のようなので、ポイントのみにする。
骨子はもちろん「お夏清十郎」の話、つまり「但馬屋という大店の娘お夏と(丁稚)清十郎との悲恋」で、「駆け落ちした二人が捕らえられ、清十郎は盗みの濡れ衣を着せられて断首。お夏は狂乱する」というもの。そのプロットはそのままに、荒城版は最終場でどんでん返しとでもいうべきオチをつけていた。唸った。そのオチと繋がるのが冒頭部。二人の子供がスイカを分け合って食べている短い場。この二人が狂言回しで、どんでん返しをしてみせる。その狙いが復讐だったというオチ。
但馬屋の主人を真吾さん。番頭、手代、女中を和也さん、祐馬さん、姫乃純子さんという顔ぶれ。蘭太郎さんがお夏、勘太郎さんが清十郎、役人が虎太郎さんの配役。店で下女をしている月太郎さんが(上に書いた通り)、実は清十郎の妹だったという設定。知恵遅れで、店の者に、特にお夏に虐められていた。貧しく、虐げられてきた清十郎とその妹の、お夏への復讐、そして大店潰しが目的だった。
真吾さんの関西弁はほぼ完璧。和也さん、祐馬さん。純子さんもそれに準じていた。ただ、主人公二人が現代の関東弁で喋るのが気になった。でも演技はさすがに迫力満点。お二人ともさすが真吾座長の後継者。
また、最後の場面で、鳥居を中心において、周りを奇妙なお面やら、紙風船やらで飾り立て、そこに赤い照明を当てた舞台が、素晴らしかった。目に見える祭祀空間が、果たして夢なのか幻なのか判然としない異次元状態を現出していた。まさにお夏の頭の中の「狂乱」を具象化したもの。こういう演出ができる荒城の実力のほどが窺えた。
劇団荒城が今月公演している篠原演芸場は土日を除く週日は午後6時からの公演のみ。正月以来体調も万全ではなかったので、夜に出かけるのは極力回避したかったし、今回は諦めようかと考えていた。でもこの機会を逃したら、半年以上見ることは叶わない。で、チケットを取っていた浅草歌舞伎の夜の部を、最初の演目のみ見てあとは反古にして出かけたのだけれど、大正解だった。