yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

3年前の「芋掘長者」との落差に愕然とした「芋掘長者」in 「新春浅草歌舞伎」@浅草公会堂の部 1月10日

2015年8月の歌舞伎座公演と比べるのは酷なのかもしれない。でもあえて、言挙げしておく。3年前は巳之助と橋之助(現芝翫)の取り合わせ。3年前の歌舞伎座での「芋掘長者」との落差に、愕然としてしまう。

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今回は橋之助の役を巳之助が、前に巳之助がやった治六郎を新橋之助という配役。これ、やっぱり無理がありました。橋之助の治六郎は、舞が上手くなくてはならないのに、巳之助が演じた藤五郎の方が格段に上手いのですから。(新)橋之助も以前に比べればだいぶん進歩したようではあるけれど、舞踊の名手巳之助の足元にも及ばないのは歴然。それに合わせなくてはならない巳之助が大変だっただろうと、思わず同情してしまった。下手に合わせるのは、上手に合わせるより数倍大変だろうから。

橋之助の舞踊には華がない。こういってしまうとお終いなのかもしれないど。どこから見ても「いっぱい、いっぱい」の感じ。舞踊の稽古をしているはずだけれど、焦点がずれているのでは。能の仕舞を稽古した方がいいように思います。今ならまだ間に合う。 

一方の巳之助、橋之助に合わせることで、彼が生来纏っている洒脱感が薄められてしまったのが残念。彼本来の優れたセンス、それを裏打ちする舞踊の粋がまるで生きていなかった。残念至極!

と、不満だらけだった今回の「浅草歌舞伎」。「若手登竜門」なんていうキャッチフレーズが、なんとも哀しい。レベルがまるで大歌舞伎に太刀打ちできていない。この「浅草歌舞伎」で納まっている限り、大歌舞伎で主要な役を仕留めるのは無理だろう。さすが大歌舞伎、今月も「有望」若手をしっかり組み込んでいます。浅草歌舞伎がそれに乗れない若手役者の披露の場になることに、いかなる意味があるのでしょうか。そんなことを、考えさせられた。

観客層もよくなかったように思う。大向うさんが酷かった。屋号を間違えるのは、あんまりでしょ。また、観客も今までの「浅草歌舞伎」よりはるかに悪かった。歌舞伎座、国立劇場の観客層とは全く違った人たち。もともと歌舞伎は大衆芸能だっわけで、その意味では「先祖還り」なのかもしれない。

以下に配役を。

芋掘藤五郎   坂東 巳之助
友達治六郎   中村 橋之助
息女緑御前   坂東 新悟
腰元松葉    中村 鶴松
松ヶ枝家後室  中村 歌女之丞
菟原左内    中村 歌昇
魁兵馬     尾上 松也

 今回の浅草歌舞伎には失望したけれど、興業的には成功だったのでは。歌舞伎初心者にはコスパ的にも見る価値のあるものだったのかもしれない。とくに、最近の「歌舞伎ブーム」に乗っかるには。私はごめんだけれど。